九月十八日――思わず閉口した質問

 畑の土手の草刈りをしたあと、昼から父と兄の登の三人でソバの中耕をきったり、白菜や大根畑の草取りをしたりした。いやにむし暑い日だったせいか、ブヨがわいて顔や手をひどく食われてしまった。今もそのあとが赤くはれて痒い。

 夜は道普請のことでうちで部落の寄り合いがあった。おれは火じろ端の隅にひっこんでなるべくみんなと顔を合わせないようにしていたが、あとでみんなから「ミッドウェーはどうだった?」とか、「武蔵はどこでどんなふうにやられたんだ?」とか海戦のことを聞かれたのには閉口した。なかにはこっちの知らないことまで知っているのがいて、あれこれとしつこい。もっともおれが生返事ばかりしていて、いっこうに話にのらなかったので、じきにみんなあきらめて帰っていったが、とにかくおれはこれからも人前で戦場の話だけはしたくない。誰に頼まれてもそれだけはいやだ。それにいくら話してみたところで戦場の真実はわかってもらえないだろう。言葉ではとても説明しきれるものではない。

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 武蔵の四分隊でいっしょだった矢板からハガキをもらう。彼も八月末に大湊の警備隊から復員して、いま茨城の実家で牧場の手伝いをしているという。やはり毎日くさっているらしい。汽車に自由に乗れるようになったら一度会いたいと書いてある。彼はずっと士官室の従兵をやっていたが、従兵といえば一分隊の同年兵でやはり士官室の従兵だった高橋はどうしたか。彼とは救助されてからコレヒドールまではいっしょだったが、内地に還ってからは会っていないので、ひょっとしてあのサントス丸とともにバシー海峡で果てたか、それともマニラの防衛隊に引きぬかれて、クラークあたりで玉砕したのかもしれない。高橋はたしか栃木の出身だったが、おれとは割と気があって外出のときなどもよくいっしょだった。矢板には早速返事を書く。