「おい、見ろ、あれも敗残兵だ」

 故郷の村で小学生から投げられた心無い言葉に、元海軍兵の心は深くえぐられた。一方で新聞を開けば、梨本宮ら皇族や軍上層部が次々と「戦争責任」から逃れようとする見苦しい言い訳が並ぶ。さらに村の大人たちは、飢えに苦しむ都会の人々を嘲笑い、ヤミ米で復讐を果たそうと目を血走らせていた……。

 社会秩序が崩壊した敗戦直後の日本はどのような光景が広がっていたのか。ここでは、復員兵として渡辺清氏が著した『砕かれた神 ある復員兵の手記』(角川新書)の一部を抜粋して紹介する。

ADVERTISEMENT

◆◆◆

十二月四日――子どものへらず口

 起きぬけから頭が痛くて閉口した。まるで頭に鉄のタガでもはめられたようにずきずきして、畑で父と大根を掘っている間も、生あくびの連発で休んでばかりいた。昨夜邦夫と飲んだ芋焼酎がたたったらしい。もう焼酎はこりごりだ。

写真はイメージ ©︎AFLO

 夕方、父に頼まれて下尻の金物屋に唐鍬の柄を買いに行った帰り、石屋の坂のところで、後ろからきた小学生が四、五人、おれのほうをじろじろみながら、

「おい、見ろ、あれも敗残兵だ、海軍らしいぞ……」

 と調子づいた声で言いあっているのを耳にした。瞬間、おれはカーッとなって、よっぽど張り倒してやろうと思ったが、相手はまだ二、三年生の洟ったらし小僧だし、それにとっつきの桑畑に人もいたのでやっと我慢した。おそらくおれの着ていたカーキ色の略衣袴で、それでわかったのだろうが、おれはなにも好きこのんでこんなお下がりの略衣袴を着ているわけではない。ほかに着るものがないからこれで間にあわせているわけだが、敗残兵などと言われて聞きながせるほどの度量はおれにはない。

 なるほどおれは敗残兵にはちがいないが、面と向かってそう言われるとやはりひどくこたえる。子どものへらず口だとわかっていても、ひどく気にさわる。

 それにしてもああいうことを子どもらが自分の考えで言うはずがない。おそらく大人たちが陰でそう言うのを問わず語りに聞いているからだろう。戦争中「今日も学校へ行けるのは兵隊さんのお陰です」という歌があったが、それがいまは「おい見ろ、あれも敗残兵……」どっちも人をくったいまいましい文句だ。