AMEMIYA(47)がコンビ「ノンストップバス」として芸人活動を開始したのは、1997年。しかし、ポップでキャッチーなノンストップバスと90年代の“尖り上等”なお笑いカルチャーはあまりにも相性が悪かった……。 

 ツッコミの役割がわからず、「(ダウンタウン)浜田さんにムカついていた」ほどのお笑いオンチだったAMEMIYA。吉本を去り新事務所で突然浴びた「ワーキャー」の洗礼はAMEMIYAを徐々に狂わせていく。

©志水隆/文藝春秋

◆◆◆

ADVERTISEMENT

千葉のヤンキー文化になじめず、保育士を目指そうとしたことも

――芸人を目指したきっかけは?

AMEMIYA 高校の時に、ダウンタウン旋風が巻き起こっていたんですよ。『ごっつええ感じ』『ガキの使いやあらへんで!』を見て、すごいかっこいい、面白いってなったんですけど、その前から音楽にも興味があって。一番最初は尾崎豊さんにあこがれましたね。

 中学2年の時に尾崎さんが亡くなって、歌い方や歌詞に衝撃を受けたんです。同じ頃、千葉テレビでウルフルズのデビュー曲のMV『やぶれかぶれ』が流れてきて、これがめちゃくちゃ面白かった。ボーカルのトータス松本さんが髪を振り乱して歌って、周りが楽器を抱えて踊ってる。この人たちは本当にバンドか?って思ったぐらい。

――出身は千葉県ですよね。

AMEMIYA 小学校は千葉県の稲毛(千葉市)で楽しく過ごしていたんですが、小6で佐倉市に引っ越したらヤンキーばっかりで、正直「黒歴史」ですね。ケンカが強いやつがすごいみたいなノリがとにかくイヤで、だから高校は稲毛寄りの高校を選びました。芸術高校だったのもあって、個性的で面白い友達が多かった。

――ヤンキー文化になじめなかったんですね。

AMEMIYA ケンカ漫画はメッチャ好きだったんですけどね。『今日から俺は!!』とか『特攻の拓』とか『ろくでなしBLUES』とか。でも本当にケンカしてどうするの、みたいな。ケンカが強い、ボンタン穿いた派手に生きてるやつらよりも、個性で勝つみたいなことを、当時からちょっと思ってました。

学生時代のAMEMIYA(写真提供=本人)

――高校卒業後、NSCへ。芸人やミュージシャンに加えて、保育士にも興味があったそうですね。

AMEMIYA 大学受験に全部落ちて、唯一受かったのが保育園の先生になる短大で。当時から子どもがちょっと好きだったのかもしれません。自分も子どもっぽい部分があったし、子どもだったら話が合うんじゃないかみたいな。

――当時だと男性の保育士さんは結構珍しかったのでは?

AMEMIYA かもしれません。ちっちゃい子と「戦いごっこ」をしてあげるのに憧れがあったんですよ。親父の姉の旦那さんが「きんちゃんおじさん」っていって、会うといつもチャンバラごっこしてくれたんです。早くに亡くなっちゃったんですけど、それをやりすぎて亡くなっちゃったのかなと思うぐらい(笑)。逆に父とはそうやって遊んだ記憶がなかった。

 父からは「短大に行くんだったら芸能界に行ったほうがよっぽどマシだよ」って反対されました。常日頃芸能の世界への憧れも口にしていたので。それで当時いちばん面白かった友達がNSCに行くというので、「俺もついていっていい?」ってなって、そこからが始まりでした。ほぼ直感でしたね。