「浜田さんにムカついていたぐらい(笑)」とにかくお笑いのことが、分からなかった

――NSCに入ってみてどうでしたか?

AMEMIYA まず違和感から始まりました。「あれっ、よく分かんねえな」みたいな。NSCに入る人たちってみんなある程度お笑いを勉強していて、振りとかボケとかオチとか理解してるんですね。

 僕は、なんとなくお笑いが好きだっただけ。キャーキャー言われてスターでかっこいいな、みたいな感じで見てたから、全然お笑いの勉強をしてないんですよ。うちの元相方はもともとお笑いをメッチャ勉強してたので、コントの授業でも優秀なクラスに入ってはいました。ウケるのはうれしいけど、自分的には「ウーン」という感じでしたね。

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©志水隆/文藝春秋

――その「違和感」はどれくらい続いたんですか?

AMEMIYA ずっとありました。僕らは「ノンストップバス」というコンビ名で、NSCを卒業して吉本所属になり、銀座7丁目劇場で初舞台を踏みました。当時のトップは極楽とんぼさんで、ロンドンブーツさんやココリコさんも先輩にいて。

 その下に品川庄司・ダイノジ・チャイルドマシーン・ガレッジセールという「SDCG」と呼ばれる四天王がいて、あこがれていました。その下くらいにハローバイバイ、さらにその下にトータルテンボスとノンストップバスがいた、という位置づけです。

 ただ、銀座7丁目劇場はすぐ閉館してしまって、渋谷のシアターD(こちらもすでに閉館)が主戦場になっていくんですが、僕の違和感は相変わらずで、それって今考えると「ツッコミ」というものをちゃんとわかっていなかったからかもしれない。

――ツッコミがわからない。

AMEMIYA 本当にツッコミが分からなかったです。『ごっつ』で「カッパの親子」というコントがあるんですけど、今田耕司さんがカッパの小っちゃい子どもで、松本さんがカッパのお父さん、それを浜田さんがしばきたおすんですよ。本当にかわいそうで、なんてことするんだと。浜田さんにちょっとムカついていたぐらい(笑)。それぐらいお笑いを分かってなかったんですよね。

ある日、吉本を出ることに

――実際に自分が芸人をするようになっても分からなかった。

AMEMIYA そう。もう駄目だと思って、1回やめようかなと。「ちょっと俺、お笑いやめようかな」と言ったら、元相方の西条(みつとし)も、「もう吉本やめようかなと思ってた」と言うんですよ。「違う事務所に行かないか」と。

 その頃ちょうど『ボキャブラ』ブームで、圧倒的に吉本じゃない東京の事務所のほうが人気があった。ネプチューンさんとかすごかったですから。ライブを見に行ったら「キャー」じゃなくて「ギャーーーーー!!!」って言われてたくらい。それで興味を持って、結局ワタナベの門を叩くことになりました。