吉本をやめ、ワタナベをやめ、芸人そのものをやめ、バンドもやめ……失意のAMEMIYAがたどりついたのは、当時「芸人の墓場」と呼ばれていた事務所・SMA。そのヌシ・ハリウッドザコシショウは言った。「誰でも入れる。だけど誰も売れない」

 しかしAMEMIYAは、芸人復帰のその年に「冷やし中華」で大ブレイクを果たす。さらに今も途切れない営業依頼、コロナ禍も乗り越えた秘訣は、「とにかく謙虚であること」。一度ならず二度も「終わった」男が、大輪の冷やし中華花火を打ち上げ、今その火花は「捧げる歌」として様々な営業先できらめいている。

©志水隆/文藝春秋

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「おじさんだらけ」の事務所で、再び夢を追い始めた

――吉本を辞めてナベプロも辞め、バンドも辞めてまたお笑いの世界に。

AMEMIYA 吉本時代の同期に相談したんですよね。「お笑いに戻ろうかな」と言ったら「いいんじゃない? 歌ネタいけるよ。ギターあれだけ弾けるんだし」って。でも肝心の事務所は、当時32歳だったんで、もうどこも入れてくれないんじゃないかなと。

バンド活動をしていたころのAMEMIYA(写真提供=本人)

 そうしたら「SMAは誰でも入れるらしいぞ」みたいな噂を聞いたんです。ナベプロ時代にかわいがっていただいていたハリウッドザコシショウもSMAで。

「シショウ、ちょっとお笑いに戻ろうと思うんですけど、僕も入れますかね」って聞いたら「入れるよ。びーちぶ(BeachV、SMAのお笑い劇場)に履歴書持ってくりゃいいんだよ。だけどお前、あんまり売れてるやついねえから、売れるかどうか分かんねえぞ」みたいなことを言ってもらった記憶があります。

 確かに当時は響しか売れてなかった。コウメ(太夫)ちゃんは売れてしぼんでいる頃、バイきんぐですらまだ売れてない頃ですよ。『エンタの神様』のレギュラー放送がなくなって、『爆笑レッドカーペット』ももう終わる頃。『あらびき団』だけがまだ残っていた、お笑い低迷期でした。

 で、いざ履歴書持ってネタ見せ行ったら、驚いちゃって。

――何があったんですか?

AMEMIYA SMA、おじさんばっかりなんですよ! おじさんたちが目を輝かせて「ノンストップバスの雨宮さんが来てくれた!」って喜んでくれて、みんな年上なのに、敬語を使ってくれて。それ見て「俺、こんなにしみったれてたけど、まだやれるかな」って。もう1回いこうかな、もう1回頑張ろうかなって本当に思いました。

(錦鯉・長谷川)雅紀さんもいたなぁ。きったねえジジイだなと思ったけど(笑)、目がまだ全然死んでないんですよ。だから、結局錦鯉売れましたもんね。

――ちょっと泣きそうです……。

AMEMIYA で、2010年4月に「AMEMIYA」として再スタート。6月にすぐ「冷やし中華」が生まれるんです。だからすぐ売れたんです。