益子焼の釜で知られる荻野屋の『峠の釜めし』。長く愛されるこの弁当には、意外な誕生秘話があった。
誕生から68年、なぜ『峠の釜めし』は変わらずに売れ続けるのか。グラフィック社刊『老舗駅弁 美味しさとロングセラーの秘密』より抜粋して紹介する。(全3回の2回目/つづきを読む)
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「温かい駅弁」を求める声に応えて
益子焼の釜という独特の容器で目を引く『峠の釜めし』は「温かい駅弁が食べたい」というお客さんの要望が始まりだった。
誕生は1958年(昭和33年)。その頃、駅弁のスタンダードは幕の内という時代で、基本的には冷めたものだ。当時の荻野屋の経営は厳しかった。しかも社長は35歳で夭折。遺された妻の高見澤みねじは、起死回生の新商品を生み出すべく、お客さんの声を聞き「温かい弁当」を作ろうと試行錯誤。そんな折、偶然釜の容器の売り込みがあり、誕生したのが峠の釜めしだ。
発売当初は1日30個程度しか出なかったが、雑誌記事をきっかけに大ヒットとなった。
釜めしの具材は、山の幸をイメージした9種類。それぞれ関東風や関西風など具材によって味付けを変えている。これらは、基本的には誕生時から変えておらず、手作業で釜に詰めている。
ちなみにあんずが入っているのは、整腸作用があると言われている食材のため。旅人に「快適な旅を続けてほしい」という、暖かい想いからだ。
