プレッシャーでご飯が食べられずどんどん痩せていった

――主演という大役を務める中で、プレッシャーも相当大きかったのでは。

麻木 琴子はほぼすべてのシーンに出演していたので、毎日緊張が続いていました。一番つらかったのは、プレッシャーのあまりご飯が食べられなくなってしまったことです。睡眠時間も短く、撮影が進むにつれてどんどん痩せてしまって……。

 監督からも「ほっぺがこけてきちゃったね。琴子はこんなに痩せていないから、頑張って食べよう」と心配していただきました。

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――周りの皆さんにも支えられていたのですね。

麻木 福岡での撮影中には、母がホテルまで手作りのご飯を届けてくれたこともありました。そのご飯を泣きながら食べたことは、今でも忘れられません。当時はセリフを覚えることよりも、「皆さんに心配や迷惑を掛けてしまっている」という気持ちの方がつらかったですね。

©細田忠/文藝春秋

――優しいお母様ですね。撮影中、他にも支えになった方はいらっしゃいましたか。

麻木 入江直樹役の佐藤寛太さんは、私がご飯を食べられないことをすごく心配してくださって、「これなら食べられそう?」とゼリーやカットフルーツを差し入れてくださったんです。

 そして、2・3作目の入江くんのお母さん役の鈴木杏樹さんは、手作りのおにぎりを作ってきて「一緒に食べよう」と声を掛けてくださったり、本当のお母さんのように接していただきました。作品の中でも琴子の一番の味方でしたが、カメラが回っていない時も、ずっと変わらず温かく接してくださったんです。

 精神的に追い詰められていた当時の私にとって、その優しさは本当に大きな支えでした。あの作品を最後まで演じ切ることができたのは、共演者やスタッフの皆さんがいてくださったからだと思っています。

©細田忠/文藝春秋

「体調管理も仕事の一つなんだ」と考えるように

――映画での琴子はとてもパワフルで明るかっただけに、麻木さんがそれほどまでに追い詰められていたとは驚きました。

麻木 当時は、プロとしてまだまだ甘かったのだと思います。食事が喉を通らなくなってしまって、「何か栄養を取らなきゃ」と思いながら、毎日粉ミルクを飲んでいました。ひどい時はゼリーさえ受け付けなくなってしまって、病院で点滴を受けることもありました。

 飲み物しか口にできず、離乳食のような、噛まなくても食べられるものだけで何とか過ごしていた時期もあります。それくらい極限の状態でした。