「効果があるのか」軍には否定派もいたが……
昭和19年4月、5月の参謀本部の局長会議で、東條は「6月以降、B29機が日本爆撃に乗りだす算があり、敵の出鼻をたたくため、一機対一機の体当たりで行く必要がある」と発言したという。この場合は、日本の航空機がアメリカ軍のB29に体当たりをして、その攻撃力を弱めるという案である。
そして6月になると、航空本部ではこの体当たり攻撃という語は、きわめて日常的な表現として用いられることになった。7月にサイパンが陥落すると、航空本部の将校の間からも、「体当たり攻撃やむなし」の声があがっていくのである。
むろん航空本部の将校のなかには、「はたしてどれだけの効果があがるかは疑問」という意見もあったが、サイパンからの本土爆撃という現実が近づいてみると、とにかく「悠久の大義に生きるにはこれしかない」との結論に落ち着いていく。その一方で技術陣では爆弾を積んだ特攻用飛行機の研究もこのころからしきりに命じているのである。
陸軍がいつどのようにして特攻作戦を容認していったか、の正確な会議の日時については今も定かにはわからない。前述の『日本陸軍航空秘話』によるなら、9月25日に参謀本部の参謀が航空関係の幕僚を集めて会議を開いたとあり、そこで参謀本部側から「航空本部が主導して特攻隊の編成、その攻撃を進めてもらいたい」との要望がだされたが、航空本部の将校たちは猛然と反対したとも記されている。
ここに至って明らかになったのは、歩兵が主流を占めている陸軍にあって、肉弾突貫攻撃は当たり前のことであり、それが日本軍の中心的な戦闘システムだということである。航空本部の将校とて飛行機とともに体当たり攻撃ができないのか、という主張が前面にでてきているということになる。
陸軍の歩兵出身の将校にとっては航空畑の将校は、浮わついていて生真面目さがないと受け止められていたというから、体当たり攻撃を避けるというのはなんとも「臆病な将校」に見えてしまったということになる。このような肌合の違いが、航空本部将校の体当たり消極論にもつながったのだが、実際に海軍の特攻作戦が進むにつれ、陸軍も遅れじと特攻作戦に加わっていくことになった。
ここには独自の主張や意見より、具体的な行動に伴っての“海軍に負けるな”という集団心理が働いていたということになるだろう。
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