このとき「最初の特攻」が行われたが、なぜか語り継がれなかった
この航空戦で注目されるのは、第二十六航空司令官の有馬正文がハルゼー大将の指揮する艦隊に自ら体当たり攻撃を行い戦死したことである。有馬は台湾沖航空戦でほとんど戦果があがっていないことを承知し、そのことを気に懸けていた節がある。
有馬の乗った攻撃機は攻撃隊の先頭に立っていたが、ハルゼー艦隊を発見すると、アメリカ軍の戦闘機を払いのける形で正規空母に体当たりしていった。もともと有馬は、戦争では年齢の高い者から順に死ぬべきであると言い、自らの機で体当たり攻撃を行ったとされている。これが10月15日のことだった。日本で初めての特攻作戦を行ったのは、実は49歳の有馬だったのである。
しかしなぜ有馬のこの体当たり攻撃は、一般社会に広まらなかったのだろうか。あるいは第1号として語られることにならなかったのだろうか。
その答は簡単である。有馬はいわば軍事指導層に位置している。もしこの考え方(たとえば年齢の高い者から死ぬべきであるとか相応のポストに就いている者から順次死ぬべきであるといった考え方)が一般的になったら、軍事指導者から率先して体当たり攻撃をしていかなければならないし、少なくとも作戦の主導役であった作戦参謀たちはまず誰よりも先に死地に赴かなければならない。そのような率先垂範がなければどうして特攻作戦が理解されただろうか。
くり返すことになるが、学徒兵の特攻隊が出撃するときに、司令官や隊長、あるいは高級参謀などは、「いずれは私も行く。先に行ってくれ」と励ましたり、口あたりのいいことを言って送りだしたりしている。しかし彼らのなかで実際に出撃した者は、ほとんどといっていいほどいない。
あろうことか自らはその基地からさがってしまったり、戦後になって、「あの作戦は志願という形を採った」と言い逃れを撒まき散らしている者もいる。こうした事実を正確に押さえることが必要で、これまでの特攻神話にはすべてメスをいれて、改めて指揮官たちの言動の洗いだしを行ったうえで、その責任を明らかにしなければならなくなっているように思う。
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