「どれだけの効果があがるかは疑問」

 当初からこうした懸念のあった特攻作戦に、なぜ旧日本軍は突き進んでしまったのか。その思想的背景や組織の病理を、昭和史研究の第一人者である保阪正康氏の著書『「特攻」と日本人』(朝日新聞出版)から一部抜粋してお届けする。

精神論を語ることが多かった東條英機(首相官邸公式サイトより)

◆◆◆

ADVERTISEMENT

学生たちを呆れさせた、東條英機の「精神論」

 陸軍の特攻作戦は、昭和19年2月の東條英機首相・陸相の、参謀総長兼任時からその動きがあったと見るべきだろう。なぜなら東條は、聖戦必勝を口にしつつも、その聖戦の軍事的作戦そのものが特攻作戦をあらわしているかのような表現を用いているからである。

 昭和19年の初め、東條はしばしばパイロットを養成する航空学校やアメリカ軍の攻撃機を撃ち落とすための訓練を続ける高射砲の学校へ視察に赴いている。そのとき東條は、その学校の生徒たちに、

「敵機が飛んできたらどのようにして迎え撃つか。君たちは何でその敵機を撃ち落とすつもりか」

 と尋ねている。学生たちはこもごも「高射砲です」と言い、それが何インチの高射砲だと撃ち落とせます、という知識を披瀝(ひれき)する。そのたびに、東條は「いや、それは違っている」とはねつける。

 やがてしびれを切らした東條は、学生を難詰するように「敵機を撃ち落とすのは一にも二にも精神力だ」と答える。教室の中にはおのずととまどいの空気が流れる。そんな精神力というのが答になるのはおかしいのではないか、というのである。

 こうした精神論は空虚そのものであり、それは身をさらす、つまり肉体を武器に使う段階に至る第一歩でもあった。東條にはそのような精神論を口にする傾向が顕著であった。それゆえにというべきか、東條が軍令と軍政の両方の権限をにぎったときにこそ、特攻作戦を認める空気が醸成されていったというべきだった。