人気低迷期に書いた『風姿花伝』

 実は、この教えは、世阿弥自身の苦い実体験に根差している。世阿弥はわずか12歳のとき、京都・新熊野(いまくまの)神社での猿楽興行が将軍・足利義満の眼にとまったのをきっかけに、その愛顧をうけ、一躍、トップアイドルの座を手に入れる。ところが、その寵愛は長くは続かなかった。犬王(いぬおう)などの新しいスター役者が現れると、義満の興味は彼らのほうに向かってしまう。やがて義満の死により世阿弥人気の失墜は決定的になり、40代以後の彼は長く暗い低迷期に突入する。

 そうした人気の(かげ)りはじめの時期に彼が執筆したのが、『風姿花伝』を始めとする数多くの芸論書なのである。それらは、トップスター世阿弥が書いた成功体験の記録というよりは、むしろ人気の低迷に苦悩する彼自身の自問自答の記録と見るべきだろう。いま『風姿花伝』を読んで、その教えが僕らの心に生々しく刺さるのも、そういうところに理由があるのかも知れない。

世阿弥を寵愛した足利義満

不遇のときこそ花を失わず

 とはいえ、芸能の世界はつねに水物(みずもの)で、本人の努力とは無関係に、そのときどきの条件によって評価が変わる。そんなとき、どう振舞えば良いのか。『風姿花伝』のなかで世阿弥は、次のように語っている。

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 「たとえ中央で多くの人々からもてはやされた役者でも、どうにもならない事情によって、一時、人気が低迷することがあるだろう。しかし、その間にも田舎や地方で評判を得るだけの花を失わなければ、完全に役者として立ち行かなくなることはあるまい」

 中央のメディアで持てはやされていい気になっていると、いつか必ず人気が落ち込むときが来る。しかし、そんなときでも地方の古巣のファンを大事にしていれば、不遇の時代も乗り越えることができる。現代でも、地方での小規模なライブ活動を続けて、昔からのファンを大事にし続けたバンドが意外に息の長い活動をする、という話があるが、それと同じだろう。おそらく、これも世阿弥の辛い実体験から(にじ)み出た教訓に違いない。

 しかし、中央の眼の肥えた観客と違って、地方の観客のなかにはガサツな者も多く、細かな演技の機微にまで理解が及ばないことも多い。また、いつまでも会場がざわついて、観客がなかなか演技に集中しないときもある。そうしたとき、世阿弥は「いつもよりいろいろ動作を派手にして、声も強く張って、足を踏むのも少し大きめに踏み、立ち居振る舞いも人目をひくように生き生きとすべきである。これは、会場を静めるためのものである」と、その極意を語る。ときどきの会場の雰囲気に合わせて、パフォーマンスを変えていく。これこそプロの仕事と言うべきだろう。

 現在、我が世の春を謳歌(おうか)しているアイドルたちも、その人気が永遠に続くことはないだろう。ファンというのは移り気で、いつも目新しいものを追い求めているのだから。そんな(とら)えどころのない“魔物”に、600年も前に挑んだ大先輩が、世阿弥だったのである。だから、いま芸能界を生き抜こうと必死に闘っている彼らや彼女たちにも、意外に『風姿花伝』の教えは役に立つものかも知れない。

清水克行氏

室町「下剋上」サバイバル

清水 克行

文藝春秋

2026年7月9日 発売

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