『室町「下剋上」サバイバル』(文藝春秋)

「人はなぜ舞うのだ?」。そんな疑問を抱く少年、鬼夜叉が、のちに能を大成する世阿弥へと成長していく姿を描いたアニメ「ワールド イズ ダンシング」(毎週木曜夜10:00-10:30ほか、TOKYO MXほか/Prime Videoにて地上波先行配信、各種配信サイトでも順次配信。原作は三原和人氏)が絶賛放送中だ。

 世阿弥は『風姿花伝』で「芸能界サバイバル術」以外にも、中世人ならではの世界観を綴っていた……。

 原作とアニメの両方で歴史監修を務める清水克行教授が、中世日本のカオスすぎるエピソードを綴った『室町「下剋上」サバイバル』(文藝春秋)より、抜粋して紹介する。

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現代人には理解困難な世界観

 ヨーロッパ社会史の名著に『チーズとうじ虫』(カルロ・ギンズブルグ著、みすず書房)という本がある。16世紀イタリアで異端審問にかけられた一人の粉挽(こなひ)き屋が語る非キリスト教的な世界観を古文書から復元した研究書だ。その粉挽き屋は、世界は「牛乳のなかからチーズの(かたまり)ができ」るようにして生まれ、「そこからうじ虫があらわれてくるように」天使が誕生するなどと語り、そのために異端者と認定され、火刑に処されてしまう。しかし、荒唐無稽なようでいて、そこには記録には残らない当時の庶民の宇宙観や自然観が反映されていた。

『チーズとうじ虫』カルロ・ギンズブルグ著

 さきに世阿弥の『風姿花伝』を紹介したが、そこにはスターであり続けることの困難さや修練の重要性が繰り返し語られ、今を生きる僕たちにも静かな感動を与える内容となっていた。しかし、彼の書いた『風姿花伝』のなかには、現代を先取りした思想が語られる一方、『チーズとうじ虫』の粉挽き屋の思想のように、現代人にはおよそ理解困難な、中世人ならではの世界観も同時に語られている。ここでは、そんな『風姿花伝』のもう一つの側面に注目してみよう。

「面白い」の語源?

『風姿花伝』のうち「神儀(しんぎ)」の章では、猿楽の起源が世阿弥の言葉で詳細に語られている。その内容は壮大で、大きく(1)アマテラスの時代(日本神話)、(2)シャカの時代(仏教説話)、(3)日本古代史、に区分される。

 まず(1)の日本神話のくだりにおいては、太陽神であるアマテラスが天岩戸(あまのいわと)(こも)ってしまったために世界が闇に閉ざされるという、有名な「岩戸隠れ」の話が語られる。このときアメノウズメが神楽(かぐら)を奏して歌い舞ったところ、興を催したアマテラスは岩戸を開けて中から出てくる。これが我が国の猿楽の始まりで、以後、アメノウズメは芸能神と位置づけられることになる。この伝説を冒頭に語ることで、世阿弥は猿楽の由緒(ゆいしょ)神代(かみよ)にまで(さかのぼ)らせ、みずからの芸能を権威づけようとしたのだろう。

 なお、このとき世界に光が戻ったことで、そこにいた神々の顔面が白く輝いた、と世阿弥は述べている。少々言葉足らずだが、これが「面白い」という言葉の語源であると言いたいようだ。説話のオチをデタラメな語源説で締めくくるのは、『竹取物語』など古い時代の物語によく見られる。おそらく、このこじつけも世阿弥が創作したものではなく、彼ら芸能民たちの間に古くから語り伝えられてきたものだったのだろう。

 ついで(2)では、シャカが祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)を建立供養したときの説話が語られる。このとき仏敵ダイバダッタは1万人の邪宗の徒を集めて、シャカの建立供養を妨害する。すかさずシャカの弟子のシャリホツは他の弟子たちと一緒に「後戸(うしろど)」(仏殿の裏側)で楽器を鳴らし歌をうたい、「六十六番の物まね」芸を披露する。これに邪宗の徒も気をとられ、面白がって見物しているうちに、シャカは無事に建立供養を済ませたという。ここでは、芸能は立派に仏法を守護する役割を果たしている。

 ここで重要な舞台である「後戸」とは、天台系寺院では摩多羅神(またらじん)という芸能神が(まつ)られる場であった。また彼らが集う「後戸」は、さきの「天の岩戸」のダブルイメージともなっている。この摩多羅神は、同時に宿神(シャグジ・サクジン)という日本古来の土俗神で、神仏を奮い立たせる精霊でもあった(東京の石神井(しゃくじい)という地名もこれに由来する)。(2)の説話では、そうした当時の芸能民たちの土俗的な信仰対象がさりげなく取り込まれている点が注目される。

能舞台

 そして(3)の日本古代。大和国(奈良県)の初瀬(はせ)川に流れてきた壺のなかから一人の男児が生まれる。

 時の欽明(きんめい)天皇は夢のお告げで、この子を秦の始皇帝の生まれ変わりと考え、秦の姓を授けて秦河勝(はだのこうかつ)と名付ける。のちに聖徳太子は、この河勝に「六十六番の物まね」を命じ、その結果、世は平穏になった。河勝はその芸を子孫に伝えると、丸木舟に乗って播磨(はりま)国(兵庫県南部)の坂越(シャクシ)に流れ着き、そこで大荒(オオサケ)大明神として祀られた、という話が続く。

 秦河勝は史上に実在した渡来系氏族の族長で、京都の広隆寺を建立した人物として知られている。(1)の日本神話におけるアメノウズメ、(2)の仏教起源譚におけるシャリホツに続いて、世阿弥は(3)で、この秦河勝も自分たち芸能民のルーツであると語る。それもそのはず、世阿弥の本名は「秦元清(はたのもときよ)」。秦河勝こそは、彼のご先祖さまだったのだ。