5/5ページ目
この記事を1ページ目から読む
毛布に包まれた50以上の遺体
逃亡を図った者もいたが、捕まった後は、毛布に包まれて5、6人の男たちに金属バットで殴られた。息絶えた者は、兄弟福祉院の敷地内にある共同墓地に埋められた。
兄弟福祉院が閉鎖された1990年代に共同墓地の移設を担当した者は、毛布に包まれた状態で埋められた50以上の遺体を目撃したという。その多くは子どもだった。
子どもの親たちは…
子を奪われた親たちはどうしていたのか。なぜ子を迎えに行かなかったのか。
答えはシンプルだ。親たちは兄弟福祉院の存在を知らなかった。知っていたとしても、まさか我が子が浮浪者を一時収容する施設にいるとは思わなかったのだ。
ある親は子どもを探すために全国を駆け回った。全国の児童養護施設を片っ端から訪問した親もいた。釜山には貧しい家庭が多く、子どもを探すために財産を使い果たしてしまう親も少なくなかった。子を奪われた家庭は次々と崩壊していった。
裕福な家庭の子も強制収容されることがあった。ある会社社長の子が兄弟福祉院で酷い暴力を受けて亡くなった。弟は検視を訴えたが、親戚にいた警察幹部に「意味がない」と言われた。親も検視を諦めて子の死を受け入れた。
誰が兄弟福祉院を率いていたのか?
いったい誰が兄弟福祉院を率いていたのか。そして、彼はなぜそのような権力を持つことができたのだろうか。そこには韓国の軍事独裁政権と人を人とも思わない政策が密接に絡んでいた。(つづく)