高橋 私は、人間はそんなに強いものではないと思っているので、何かしら憤りや強烈な悲しみといった感情の激しいものが内から出てきて、私に当たったり、あらわにしてしまう場面があるんだろうな、と覚悟していたんです。それが普通のことだろうと思っていた。でも現実はまったく違って、本当に淡々として、冷静な受け止め方というのをもう超越しているような感じでしたね。
例えば、ドクターから病状の説明を受けたときも、本当に明るくて。「あ、とりあえず(手術を)やろう」という感じで答えていたんですよ。うまく言えないんですが、「ドラクエをクリアしているような感じ」とでも言うんでしょうか。放射線治療をやり遂げてレベルが上がった、みたいな感覚で受け止めているような。
闘病生活の中で悲愴感というものが、正直、本当になかった。状況としては非常に厳しいはずなのに、それをまったく感じさせない最期だったな、と思います。淡々と生きていこうと語っていたとおりの生き様で、ああ、自分の中でそういうふうに腹をくくっていたんだなあ、と。
「渚にて」は「久しぶりに戻ってきた感じ」
――久しぶりに大崎さんの文章を読んだ、ともうかがいました。
高橋 実はもう15年以上、大崎の小説を読んでいなかったんです。あるとき原稿の感想を求められて、素直に「ちょっとさえない」と話してしまって。本人の中では褒めてほしかったみたいで、ちょっとむっとしていたので、「じゃあ私はもう一切読みません」と言ったんです(笑)。それからは、本の見本が届いても、本棚にそっと置くだけで、本当に全然読まなくなりました。
だから今回は、本当に久しぶりの読書でした。大崎の小説はすべて、私の中では、静かな文章の中に優しさや強さを感じる、というのが昔からの印象です。「渚にて」もまた、本当にそうだなという感覚が、久しぶりに戻ってきた感じがしましたね。
「小説はずっと生き続ける。だから大丈夫」
――最後に、大崎さんの愛読者、「読む将棋」ファンへのメッセージをお願いします。
高橋 今回このような形で掲載いただけることを大変嬉しく思います。「淡々と死んでいこう」という言葉通り、大崎は私に一度も弱音を吐かず、闘病の2年を過ごしました。とても強い人だったなといまさらながらに思います。生前「小説はずっと生き続ける。だから大丈夫」と話していました。是非これからも多くの方に大崎の小説を読んでいただけましたら幸いです。
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数々の名作を世に送り出した作家の絶筆となったのは、自らのがん闘病の日々を飄々と、そしてユーモラスに描いた私小説作品だった。作家・大崎善生の遺稿「渚にて」は、WEB別冊文藝春秋にて全文順次公開される予定だ。



