IWGP世界ヘビー級王座を統一し、頂点に立ちながらも感じ続けた「現場とのズレ」。なぜ新日本プロレスで主要タイトルを手にしながら、異質な存在であり続けたのか。そして、止まらないトップ選手たちの退団ラッシュと、外様ゆえに見えた団体の「リアルな体質」とは――。

 2度の入団と退団を経て米AEWへ渡った飯伏幸太(44)インタビューを双葉社の新刊『証言 新日本プロレス「電撃退団」』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む

左が内藤哲也、右が飯伏幸太 ©getty

◆◆◆

ADVERTISEMENT

タイガーマスクになった理由は…

――そもそも飯伏選手は、最初は13年にDDTと新日本の“ダブル所属”という当時は例のない形になりましたけど、あれはどういうきっかけでダブル所属になったんですか?

飯伏 僕が新日本に出始めたのが09年で、そこから他団体所属ながらIWGPジュニアのシングルとタッグを両方獲って、13年にはジュニアなのにG1クライマックスに初めて出て、結果はそんなに残せなかったですけど、中邑(真輔)さんとの公式戦が「プロレス大賞」のベストバウトになって。やっぱり新日本としては欲しい、と。でもDDTは離さないという理由で、「ダブル所属でどうでしょうか?」という感じでしたね。

――なるほど。妥協案でキメラ的な状態になっちゃったんですね。

飯伏 だから、あれは居心地が悪かったです。

――ダブル所属といっても、その両方を統括してマネジメントする人はいないわけですよね?

飯伏 いないです。だからDDTに出てる時は「お前はDDT所属だよな?」っていう空気を感じるし、新日本に出ている時は「DDTでは遊んでるだけで、本当は新日本でしょ?」って空気感なんですよ。それとともにオスカープロモーションという芸能事務所にも入っていて、ここの仕事もムチャクチャすごくて。この3つをこなすことに限界が来て自滅して、15年の終わりぐらいに、若干失踪的な感じで、いったんプロレス界からいなくなったんです。

――15年末から長期欠場に入り、そのまま「飯伏プロレス研究所」所属になったのは、“研究”のためというより“失踪”だったんですか。

飯伏 失踪に近かったですね。で、ダブル所属解消を発表したら、次の次の日くらいにWWEからすぐ連絡が来て、「クルーザー級クラシックに出てくれないか? そしてそのまま、所属してくれないか?」っていうオファーが来たんです。

――クルーザー級のトーナメントへのオファーだけじゃなく、その時点で所属のオファーもあったんですね。

飯伏 はい。まずは、その足がかりとしてクルーザー級クラシックに出るという感じで。その前にNXTの会場でトリプルHと僕がカメラに抜かれてる写真や映像が出ていたので、完全にこれは所属だなっていう感じだったんです。ただ、僕のもともとの夢は橋本真也さんが巻いたIWGPヘビーを獲るっていうのがあって、それができてないことが心残りだったんですよ。

――IWGPを獲らずにWWEに行っていいのか、と。

飯伏 1996年(4月29日)の東京ドームでやった橋本さんと髙田延彦さんの試合を観て、あの時に橋本さんが巻いたIWGPヘビーを獲りたいというのが、もともとプロレスラーになるきっかけだったんで。もう一つ、インディー団体から来た(ザ・グレート・)サスケさんがIWGPジュニアのベルトを巻く姿に憧れて、それは実際自分で実現させることができたんですけど、IWGPヘビーが獲りたくてまだ獲れてなかったので、最終的にはそれで日本に残る決断をした感じですね。

――そうだったんですね。でも、NXTには何度か出てましたよね?

飯伏 そうなんです。WWEとは契約しないって決めながら、WWEに対して「契約しますよ」感を残しながら、クルーザー級クラシックが終わってもNXTには1カ月に一回出ていたんです。

――そんなふうに欺いてましたか(笑)。「ダスティ・ローデス・タッグ・クラシック」とかも出てましたね。

飯伏 なので16年はそういう感じで終わって、17年はタイガーマスク時代。

――アニメとのタイアップだったタイガーマスクWは、その正体が飯伏選手だったというのは公然の秘密でしたけど、あれはどういう経緯でマスクを被ることになったんでしょうか?

飯伏 あれはですね、“禊”です。

――禊ですか!