最新刊『それはどこでも起こり得る 壊れゆく世界への抵抗』が版を重ねるブレイディみかこ氏と、思想家・内田樹氏の白熱の対談はいよいよ現代社会の核心に迫る。人間が「テクノ家畜」になりつつある今、身体性を取り戻し、国民的和解へといたるビジョンを語り合った。
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人間が“テクノ家畜”になってしまう
内田 AIが人間から身体性を奪うということは確かにありそうです。コミュニケーションはメッセージと、その読解の仕方を指示するメタメッセージの二重構造になっています。表情や声質や身ぶりの身体的なシグナルが「これはジョークです」とか「これは引用です」ということを伝えて、メッセージの読解を最適化する。でも、機械を経由したコミュニケーションでは、どうしても、そうした身体レベルでのコミュニケーションが失われる。
ブレイディ テックカンパニーに飼いならされて、便利で快適でスピーディな生活で完結すると、それこそ人間が“テクノ家畜”になってしまう。若い子がAIに「人間になれたら何がしたいか」って聞くと「思い切り走って汗をかく感覚を味わってみたい」と答えるそうです。そういう人間のもっている身体的な特権――人が人である所以に立ち返る必要があると強く感じます。
内田 僕の友人の平川克美くんがAIに「AIにできないことは?」と聞いたら「死ぬこと」と答えたそうです。人間は自分が死ぬことを前提にしてものごとを判断し、行動する。僕はもう75歳で一昨年膵臓がんの手術をしたので、もう余命いくばくもありません。だから、ものの見方も変わるし、人との関わり方も変わる。鰻を食べても、これが人生最後の鰻かも知れないと思うと味の深みが違うんですよね。死ぬことを想定していると経験の深度が変わる。
ブレイディ とても実感のこもった言葉ですが、それは有限な人間だけがもつ豊かさとも言えると思います。折しもローマ教皇レオ14世が発表したAIに対する見解が欧米で大きな話題になっていますが、AIの急激な進歩は現代版「バベルの塔」の建設だとして、労働や軍事への影響に強い警鐘を鳴らしています。教皇がとくに強調するのが人間の尊厳で、神の御子が脆弱な肉体でこの世に降り立ったことは「人間の弱さや限界こそが救済の場である」ことを示すと論じているんですね。
内田 教皇と意見の一致をみるとは。
「極中」政治勢力はAIがお好き
ブレイディ 実はちょうどこの教皇のメッセージとあまりに対比的だと今イギリスで賛否両論を巻き起こしているのが、元労働党党首のトニー・ブレアが「労働党は火遊びをしている」という寄稿で展開した「労働党よ、極中に回帰せよ」というメッセージです。
ご存知のように「極中」(extreme center)は、作家タリク・アリが提唱した、右派でも左派でもなく、市民のニーズよりも資本重視で、権力奪取そのものを目的とする過激な中道勢力を指す概念です(オバマ、ブレア、キャメロンのような)。ブレアは今の労働党を「穏健左派のような経済成長を妨げる福祉政策をやってるから駄目なんだ」と徹底批判し、政権運営の中枢にAIを置けと指南するイケイケのテック推進論で、トランプを評価してるんですね。
スターマー政権はすでにイデオロギーなき極中政治そのものと私は思いますが、極中政治は最終的にAIにとって替わられるのではないかと今回の本で書いたことを、まるで地で行くような提案をブレアがしているのに驚きました。極中は、価値観や人間性なんて置いておいて、分析と効率性がすべてだと信じる。政治から価値観を排除するテクノロジー信仰は、確かに最も急進的です。
内田 極中の行動原理がAI的とも言えますよね。

