「ちょっと目をはなしたらこれだもん。旨味が染みたら味噌漬けね」と話すように非情である。島民らに同情も共感もない。
セイレーンが「でかつよ族」かどうかは議論があるようだが、ちいかわらと対をなすモンスターたちのメンタリティは総じて人間そのものである。常に怯えと恐怖で涙を浮かべ、あらゆる事象に心を動かされる繊細すぎるちいかわとは真逆である。この構造はまるで今の世界における人間対その他の生物のようだ。
我々は好奇心旺盛で世界を闊歩し、あらゆる生を食して生きている。「ちいさくてかわいいやつら」の世界を置き去りにしながら、その奪ったものを一顧だにしない。映画版でのふるまいに賛否両論が生まれた、わがままで横暴な「モモンガ」に対する我々のいら立ちは、そうしたところから生まれるのではないだろうか。
似たような世界を描いた作品としては『すみっコぐらし』があげられるだろう。人間社会でもメインストリームからはずれ、ちいさな世界でコンプレックスをかかえ、すみっこを逆に落ち着く場として生きている人がいる。
ちいかわも同様のメッセージを発信しており、枕草子の「ちいさきものはみなうつくし」の精神で、我々が忘れ去っている日々のちょっとした心の揺れ動きやはかない友情の美しさ、ほっとやわらぐ食べ物による満足感などをまるで俳句や詩のようにつらつらと語っている。
突然発生する“不穏な回”の魅力
『ちいかわ』において、いまだ隠された謎として「呪いの杖編」がある。「うさぎ」が買ってきた杖のような何らかの文明具をきっかけに、突如ともだちだったちいかわ族にツノが生え、爪が伸び出て、まるででかつよ族のような「キメラ」になる。
モモンガのように、(おそらくは)2つの部族間で身体を交換しあって、ちいかわ世界に潜んでいるでかつよ、という伏線も仕込まれている。過去イチ恐ろしかった話は、ハチワレとうさぎがキメラ化したシーンだろう。「心がふたつある~」のアレである。