上原は妻の影響でキリスト教のプロテスタントの洗礼を受け、次第に、「人は赦されなければならない」と考えるようになる。自らの人生を反省し、己の境遇を憎む気持ちも次第に消えていった。

「真菜はね、常に家族のことを最優先に考えていたんですよ」

 真菜さんのきょうだいの構成は、姉二人、真菜さん、妹、弟だ。真菜さんは一九八七年九月一三日に生まれた。

 上原家七人の生活は豊かではなかった。那覇市の市営団地で、家族は肩を寄せ合って暮らした。台所と狭い部屋が二つしかなかった。節約のため、子供用の二段ベッドは上原が自作した。

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 子供たちは自分から掃除や洗濯を分担して両親を助けた。年に数回、恩納村のキャンプ場などでテント生活をすることが数少ない楽しみだった。鍋でインスタントラーメンを作り、川でエビを捕まえて食べた。上原は、家族に申し訳なさを感じていたが、家族の笑顔が絶えることはなく、最高の思い出だった。上原は言う。

「自分は自分のために人生を楽しもうなんて一度も考えたことはありませんね。家事をしてくれる妻を全力で支えようと思ったし、生まれてきてくれた子供たちのためにすべてを捧げようと」

 真菜さんは那覇市立の中学校に進み、ハンドボール部に入る。進学校の県立高校に入学すると、抜群の運動神経を見込まれて陸上部に勧誘されるが、家計を助けるため、居酒屋のアルバイトに時間を割いた。

 次姉に携帯電話代を援助してもらった経験から、自分のバイト代を使って妹に同じことをしてあげた。友達もたくさんでき、充実した高校生活を送った。数学が得意で、成績はいつも学年トップクラス。国公立大学に進む学力があり、教諭から数学教師の道を勧められたが、二〇〇六年に歯科衛生士の専門学校に入学。

 成績優秀者に選ばれ、那覇市の歯科クリニックに就職した。真菜さんは大学に進学しなかった理由を父親に一言も話さなかった。

「家のお金のことを考えて、早く手に職をつけようとしたんでしょうね。真菜はね、常に家族のことを最優先に考えていたんですよ。だからといって、自分を押し殺していたわけでもない。自分が悪いと思ったら素直に謝るけど、きょうだいの連帯責任で怒られたときとか、悪くないと思ったら謝らなかった。小さい頃から、意志を貫く芯の強さがありましたね」

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