「食料が足りない、医療の環境も悪い、そのうえ気候が厳しい。いくつもの悪条件が重なった状態で、重労働をさせられていました。呉さんは屋外作業でしたが炭坑内の労働に回された人はさらに過酷で、落盤事故で亡くなったり、粉塵で肺をやられる人も多くいました」

自分のことを「日本人」と認識し、「神の国だから戦争にも勝つはず」と信じていた若い頃の呉正男さん ©多面向影像工作室

 さらに食糧事情は貧弱なものだった。

「主食は黒パンで、1日に350グラムです。それを朝、昼、晩の3回に分けて渡される。副食はほとんど具のないスープ。350グラムのパンというのは『具を全部取ったハンバーガーのパンくらい』と呉さんは表現していました。それを3回にわけて食べるということです」

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ジャガイモだと思い持ち帰ったらロバの糞だった

 2年間の抑留で、呉さんの体重は60キロから40キロまで落ちた。

 砂漠地帯だったが、作業の合間などに誰もが必死で食べられる植物を探していた。春になると建物の陰に植物の芽が出る。馬が排泄する場所でもあり、糞尿が溜まって水分がいちばん多いからだ。何の植物か分からないままポケットに入れ、収容所に持ち帰って軽く洗って食べた。腐ったジャガイモらしきものを見つけて持ち帰ったら、固まったロバの糞だったこともあった。

呉正男さんの手紙と戦時の写真 ©多面向影像工作室

 ある夜、寝ているときに口から大きな回虫が飛び出し、2メートルほど先まで飛んでいった。口から出なければ脳まで届いていたかもしれない、と呉さんは言う。その後で腹の調子がおかしくなり、野外作業中に用を足すと、固まりになった回虫が出た。数えられるだけで11匹いた。

「台湾の人だけの話ではありません。日本人の抑留者も同じような体験をしています。収容所で支給される食料ではそもそも腹いっぱいにならず、長く飢えていると目に入るものが食べ物に見えてくるんです。それで誤って口にして中毒を起こしたり、呉さんのように寄生虫が体に入ったりする」