戦時中、日本統治下の台湾で生まれ、「日本は神の国」と信じて日本兵として大陸で戦い、シベリア抑留を経験した99歳の呉正男さん。
終戦後に日本が台湾を手放したことによって彼らは日本国籍から外れ、日本人の元兵士のための支援制度からも外された。
台湾出身でシベリアに抑留された人は100人以上とも言われているが、正確な人数はいまも分かっていない。現在、呉さん以外に、存命の台湾人シベリア抑留者の存在は確認されていない。
呉さんが日本のために戦った理由、戦争中の記憶、シベリアの過酷すぎる抑留生活、そして戦後……。呉さんたち台湾出身の日本兵の記憶を追うドキュメンタリー映画『零下五十度の抑留者』の監督で、自身も台湾出身である許明淳さんに、日本兵として戦争に参加した台湾人たちの過酷な境遇について話を聞いた。(全3本の1本目)
◆◆◆
呉さんが生まれたのは、日本統治下の台湾南部の都市・斗六。呉さんは台湾での生活について振り返る時、自分の通った学校が「小学校」だと繰り返し強調したという。
戦況が悪化しても「日本は神の国だからいつかは勝つはずだ」と信じていた
「当時の台湾には、公学校と小学校という2種類の学校がありました。公学校は台湾の子どもが通う学校で、小学校は日本人の子どもや台湾の中でも社会的な地位が高い家庭の子どもが通う学校です。呉さんの父親は地元で教育関係の仕事に就いていて、呉さんは小学校に入ることができた。先生も同級生も、ほとんどが日本人という環境で育ったので、彼は日本へ来る前から、自分と日本人のあいだに差があるとは思っていなかったのだと思います。台湾人であるより先に、自分は日本人だという意識がありました」(許監督)
父親は呉さんを医者にすることを望んだが、中学受験に失敗し1941年に13歳の呉さんを日本へ送り出した。しかしその年の12月には真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まり、徐々に戦況は悪化していく。それでも呉さんは「日本は神の国だからいつかは勝つはずだ」「自分も国を助けなければならない」と信じていた。




