実際のラジオは雑音がひどく、17歳の呉さんには何を言っているのかほとんど聞き取れなかった。しかし「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」という一節だけがはっきり聞こえた。それを聞いて、「兵士を鼓舞する場面でそんな言い方はしない。だから負けたのだろう」と敗戦を悟ったという。

 誰もが半信半疑のままで、付近の住民が喜んでいる様子を見るまでは負けたことを確信できずにいた。

「軍人は前に出ろ」と命令され、嘘がつけなかった

 呉さんの部隊はソ連軍が到着する前に解散した。

ADVERTISEMENT

「部隊ごとソ連の捕虜になるケースも多い中、呉さんの連隊は残存部隊の隊長が『連絡が途絶えたままだから逃げよう』と言いだしました。それで同僚と一緒に韓国南部のテグを目指すことにしたそうです」

 逃走中は食べるものに困り、軍服も軍用品も食料と交換し服装もボロボロだった。38度線を越えて南下し日本へ帰る方法を模索していたが、開城近くの新幕に集まっていたところでソ連軍の将校に見つかり、「軍人は前に出ろ」と命令された。

 多くの人が後ろへ下がった。軍服を着ている人間はほとんどおらず、呉さんも見た目では軍人かどうかわからない。それでも、呉さんは後ろへ下がらなかった。

「まだ年齢が若かったからか騙すという発想も浮かばず、正直にそのまま立っていた。それでソ連軍に連れて行かれました。呉さんは『もう少し自分が不誠実だったら、嘘をついて下がっていればシベリアには行かなかったかもしれない』と話していました」

イルクーツクからの列車で車窓から見える寒々しい景色 ©多面向影像工作室

 志願して兵隊になり、特攻に選ばれず北朝鮮に残り、嘘をつけずに捕虜になった。呉さんのシベリア生活が始まった。

次の記事に続く 「寝ている口から2メートルの回虫が…」「病院に送られ再会できない人も」台湾出身で唯一存命のシベリア抑留者(99)が語る“過酷すぎる2年間”

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。