1人だけ「靴を履いて」「洋服を着ている」理由は…
――では、学校の先生ではなかったんですね。
ホリーニョ 僕も先生だと思っていたので驚きましたね。ハルキさんは通訳のヒノさんがとても優しくて良い人だったから、なんとか頑張ろうと思って子どもたちの面倒を見てたらしいです。
あと、写真を見ている時からハルキさんは何を履いているんだろう、とずっと気になってたんですよ。周りの子どもたちはみんな裸足ですよね。ご本人に聞いてみたら、おじいさんが「足を怪我しないように」って履かせてくれた地下足袋なんだそうです。
着ている服も洋服みたいでオシャレですよねって質問したら、自分で作った服だと教えてくれました。ご両親が洋裁の技術を身につけていて、娘であるハルキさんも戦前の那覇の町に学びにいっていたそうです。
周りの子どもたちが着ているような服の素材で上着を作ってボタンをつけて、スカートは大豆などを入れる分厚い袋を自分で洋風のスカートに縫い直したって。「ミシンじゃなくて手で縫ったのよ」って何度もおっしゃっていました。
81年前の写真に写っている若い女性が実は「オシャレが好きだった」とか「服は自分で作ったものだ」とか、そういうバックグラウンドを知ると見え方が変わってきますよね。当事者に聞かないとなかなかわからないことなんで、貴重な体験ができました。
――当時をすごく身近に感じられるお話ですね。
ホリーニョ でも、実は同じ瞬間を写した違う構図の写真があるんです。そこには子どもたちを並ばせるハルキさんの向こう側に大勢の米兵が写っていて。インタビューの間も、ハルキさんはずっと楽しそうにお話ししてくださっていたんですが、当時を思い出して「怖かったです」と悲しい表情をされた時間もあって。
この写真を撮られた後は船で伊江島から別の場所の収容所に運ばれて、その最中「死ぬかもしれない」「自分も子どもたちも殺されるかもしれない」と考え続けていたそうです。そんな恐怖心の中で撮られた1枚だということも、また大事ですよね。
インタビューが終わって僕が帰る時、ハルキさんは「また近くまで来られたら、良かったら寄ってくださいね」って優しく声をかけてくださって。最後に笑顔でお別れできたから、とても良かったなと。娘のめぐみさんと一緒に新聞やテレビの報道も見てくださったみたいで「嬉しいよ」ってメッセージをもらいました。ぜひまたお会いしに行けたらいいなと思っていますね。





