戦争を生き延びた80代の姉妹からも話を聞いた

――ホリーニョさんは昨年から戦前の沖縄で撮られた一般の家族写真をカラー化する活動も行っています。今年はこの写真に写っている姉妹のお二人やそのご家族にも会いにいけたんですよね。

SNSで一般の方から依頼を受けてカラー化した家族写真。1944~1945年に「戦争が起こる前に記録を残そう」ということで撮られたとのこと(写真=ホリーニョさん提供)
カラー化前の白黒写真(写真=ホリーニョさん提供)

ホリーニョ これは1941年前後に撮影された写真で、当時12人いた家族のうち6人が揃っているそうです。真ん中の女性の膝に座っている少女が静子さんで、前列右側に立っているのが美代子さん。このお二人はご健在でお会いできました。カラー化を依頼してくださったかなみさんは、一番左に写っているお兄さん(四男)の孫にあたります。

 現在、静子さんは86歳で美代子さんは89歳。お二人と最初にお会いした際も僕はやっぱり緊張してしまって。場がギクシャクしてどうしようかと思ったんですが、かなみさんとご家族の方が間に入ってくれて少しずついろんなお話が聞けましたね。

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 静子さんたち家族が住んでいた読谷村は、1945年4月1日に沖縄本島にやってきた米軍が最初に上陸した場所でした。一家は砲弾を避けるためガマ(自然洞窟)に逃げ込んだものの、食料を調達しに行ったお母さんとお兄さんは爆撃されて亡くなってしまったそうです。写真の真ん中に写る女性と、右端に写る少年ですね。

 それから米軍に指定された収容所に移ることになったそうですが、その時に体験した「悔しすぎて忘れられないエピソード」をお二人が話してくれたのがとても印象的でした。

――どんなエピソードですか?

ホリーニョ 当時、常に飢えている状況の中で月に1回だけ米軍から甘くて美味しい脱脂粉乳の配給があって、静子さんと美代子さんはそれを「アイス(の粉)」と呼んで楽しみにしていたらしいんです。ある日、その「アイスの粉」をもらったものの用事があってすぐに食べられず、二人が「地面に置いたら蟻に取られてしまう」と困っていたら、同じ収容所で暮らすおばさんが「預かってあげる」と言ってくれたそうです。

 その言葉を信じて預けたら、二人が帰った時にはおばさんの家の人たちに全部食べられてなくなっちゃっていた、と。それで姉妹が怒りを爆発させて、おばさんの家族が暮らす建物に土をどんどん投げ込んで仕返しした……っていう話を、ジェスチャーを交えて二人が話してくれたんです。僕もその場にいたご家族も思わず笑っちゃうようなユーモラスなジェスチャーで(笑)。

 当時は今よりもずっと過酷な状況なので比べたらいけないかもしれないですが、楽しみにしていたアイスを食べられて腹が立つ気持ちって、僕らもすごくわかるじゃないですか。それを家族で思い出しながら楽しく語ることにも共感できますよね。80年近く前の出来事を身近に感じられるエピソードで、聞けてよかったなと思いました。