年季の入った取材ノートの書かれていた“空白の時間”の真相

 黄ばんで年季の入ったノートの表紙には、筆ペンで大きく「名簿 軍艦大和関係」と書かれている。

 パラパラとページをめくると、「大和」関係生存者の氏名と住所、そして細かな取材メモがページを埋めつくさんばかりの勢いで、ぎっしりと走り書きされていた。氏名の欄には取材済みであることを示す赤丸、そして物故者を示す取り消し線などが入っており、丹念に取材を重ねてきた原先生の並々ならぬ労苦や執念を窺わせるものがあった。

 原先生は、その中のあるページを開いて私に見せた。

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 そこには、次のようなことが書かれていた。

《カセット後 三上恐縮(雷に打たれたかのように)。伊藤、「最後は沖縄にのし上げて……」という言葉を聞くとカッとなって、貴様こんなものは作戦とは言えない。これを作戦だと本当に思っているのか! ふざけるな! と。言葉ではなく目で訴える。「一億総特攻の魁」「気もせいせいした」は全部後付け》

 走り書きの最後には、《これは美談ではない》という一文と共に、強調の二重線がハッキリと刻まれている。

 あまりの内容に驚く私に対し、原先生はこの時の胸中を明かした。

《この部分は、僕が取材後に自宅で急いで書いたものだ。三上さんは、『これは懺悔だ』『どうか墓まで持っていってほしい』と言って、本当の話をしてくれた》

《あの会談は、世間一般に言われているような話とは全然違う。三上さんは、自分がありもしない作戦方針を咄嗟にでっち上げたことを深く恥じていた。伊藤さんに怒られて、全く生きた気持ちがしなかった。これは不味い、もう顔が真っ青になって、伊藤さんにその場で殺されるんじゃないかと思った、今すぐにでも消え入りたいような気持ちだったと、正直な感想を僕に話してくれた》

《伊藤長官はこの時、『制空権のない海へ、7000余名の部下と共に死ねというのか。戦局への寄与など何もない、ただ「海軍のメンツを保つため」だけの死を、貴様らは命令という体裁で俺に強要するのか』と、こういう風に思っていたのではないかと、三上さんは言っていたよ……》

次の記事に続く 「作戦は発動した。貴様らも黙って従え」…戦艦大和の特攻直前、“組織への冷徹”を抱いていた伊藤整一中将の知られざる最後