行き着く先はその名も太子(おおし)駅。実質的には長野原線の末端区間ではあったが、長野原~太子間5.8kmは支線扱いで、太子線などと呼ばれていたという。
ただ、太子線は長野原~大前間の延伸と入れ替わるようにして1970年に休止、その翌年に廃止されてしまった。つまり、長野原~太子間は太平洋戦争末期に産声を上げ、草津温泉の観光化が進んだ高度経済成長の最中に姿を消した幻の路線なのである。
いったい、太子線とはどんな路線だったのか。廃線跡を辿ってみよう。
草むらに残る「コンクリートの塊」
太子方面に向かう線路は、現在の吾妻線から北側に分かれるように通っていた。駅前広場の端っこにあるエレベーターと跨線橋で高台の駅の北に向かい、少し線路に沿って歩く。
すると、すぐに痕跡が見つかった。線路沿いの坂道を下りきったあたりの草が生い茂る茂みの脇に、「工」の文字が刻まれた境界標。「工」の文字は、古くは工部省、その後は鉄道省などの鉄道用地を示すマークとして使われていた。廃線後も撤去されていないケースがままあり、廃線跡を見つけ出す大きなヒントになっている。つまり、この境界標のあるあたりから太子線が続いていたというわけだ。
その場所から白砂川沿いの通りの向こう側を見ると、墓地の脇にいかにもそれっぽいコンクリートの塊が見えた。その先は草木が生い茂っていて様子はわからないが、川沿いの道を少し歩いたところから窺えば、赤茶けた古い鉄橋が確認できる。奥には現役の吾妻線の鉄橋があるから、明らかにこれが太子線の廃鉄橋だ。
川の対岸に渡ると、そちら側にも廃線跡らしき草むらが見つかった。ただ、この先しばらくは生活道路に転用されているようで、ひと目で分かる太子線跡はいったん姿を消すことになる。
「クマに気をつけてね…」立入禁止の廃トンネル
生活道路を10分ほど歩いて嶋木橋のたもとまで。交差する道を渡った向こう側で舗装された道が途切れ、細い砂利道が少し続いた先ではトンネルがぽっかりと口を開けて待ち構えていた。



