「幸せな時期なのに、素直に喜べませんでした」
そう振り返るのは、歌手で実業家のmisonoさん。
2002年に「day after tomorrow」のボーカルとしてデビュー。大ヒットしたRPG『テイルズ オブ シンフォニア』のテーマソング『Starry Heavens』などで人気を集め、その後はソロでアーティストとしてもバラエティタレントとしても幅広く活躍してきた。
そんなmisonoさんが7月、ABEMAの番組で41歳で出産していたことを公表し、話題となった。
2018年には夫のNosukeさんが精巣がんと診断された。さらに経営していたエステサロンや飲食店の閉店など、幾度もの困難を経験しながら迎えた待望の出産だ。しかしその裏では、高齢出産や不妊治療中の人への配慮からマタニティフォトは撮らず、妊娠の公表もしなかったという。
母となった今だからこそ語れる、出産までの舞台裏と、その胸の内を聞いた。(全4回の3回目/最初から読む)
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「炎上クイーン」「お騒がせタレント」と言われたトラウマ
――妊娠を隠されていた中で、ABEMAの番組で密着取材を受けようと思われた理由を教えてください。
misonoさん(以下、misono) 自分は嘘もつけないし隠し事をしたくないから、プライベートで誰かに聞かれたら素直に言っていたんですけど。世間に公表するつもりがなかったので、最初はお断りをしました。
だけど、スタッフさんが良い人達で熱い想いに負けてしまったっていうのがあります(笑)。純粋に「misonoを追っかけてみたい」と思ってくださったことも嬉しかったですし。
ただ、デジタルタトゥーで一生残ってしまうので「太ってしまった自分を映像にしたくない」っていうのもあって。「撮ってくださって構わないですけど、もしかしたら撮り終わった後にやっぱり出したくないってなるかもしれないし、公開するってなってもいつになるか分からないですけど、それでもいいんですか」とお伝えして。
なのに「待ちます」とおっしゃってくださったので、すごく感動しました。
そもそも、30歳ぐらいからmisonoのキャッチフレーズが「炎上クイーン」「お騒がせタレント」に変わってしまって、「この人って何歳になってもずっと『ウチ、ウチ』って言ってて自分のことばっかりだよね」って書かれたりして、ネットの反応がどんどん怖くなってしまって。
たった1つの言動で芸能生活が終わってしまったりするじゃないですか。だからテレビ番組では、攻められずに守りに入ってしまったし、SNSでも自分の方から発信するのをやめてしまいました。今せっかく関西で平和に生きられてるので、また注目を集めてしまうのも嫌だし、芸能界から離れて平穏な人生を歩みたいっていう時期ではありました。
――それでも密着取材を受けることを決断されたのはなぜでしょうか。
misono やっぱり最終的には、「Nosukeの精巣がんを公表したときみたいに、自分も励まされるかもしれないし、ウチらがまた誰かの力になれるなら」っていう気持ちの方が大きくなりました。
やるからには、素敵な部分だけを切り抜いて美談にするんじゃなくて、ありのままを撮ってもらってそのまま放送してもらった方がいいと思ったんです。ただでさえ勘違いされやすいから、これ以上誤解を生みたくなかったし、自分が変わっていることは重々承知なので(笑)。
「またバッシングされてしまうんじゃないか」とか頭によぎったし。相当、覚悟がいりました。
――お子さんの染色体異常の検査を受けたことを公表されたのも、その思いがあったからでしょうか。
misono 自分のスタンスは何も変わっていなくて「やれることは全部やりたい」っていう想いでした。赤ちゃんのことだけじゃなくて、自分の体のことも含めて、全部調べて、全てと向き合おうって。
番組のタイトルも「NO MAKE」だったし、2007年にバラエティに進出してからは「全てをさらけ出す」っていうスタイルでずっとやってきたので。だからこそ、しょっちゅう叩かれていたんですけど(笑)。
