「人間という生き物は数万年間あまり変わっていないと言われますが、〈人間観〉は数10年でがらりと変わることがあります。今まさにその人間観、つまり我々の自己イメージが大きく変わりつつあるんです」
と本書の著者・吉川浩満さんは語る。なぜ、どのように〈人間観〉の大転換が起きているのか。本書はそれを解き明かす。
「新しい〈人間観〉を牽引しているのは、行動経済学やAI(人工知能)研究を含む認知科学と、社会生物学や進化心理学を支える進化論です。この2つは過去数十年で飛躍的な発展を遂げ、今や人間の心と体に関する〈仕様書〉を完成させつつあります」
〈仕様書〉の根幹には、生物学者ドーキンスの「利己的遺伝子」の考え方がある。それによれば、生物は遺伝子の乗り物に過ぎず、その目的は遺伝子の複製、つまり子孫を残すことにある。人間も例外ではない。たとえば行動経済学は、私たちの意思決定が認知バイアスと呼ばれる不合理な先入観に満ちていることを明らかにした。これは、人間ご自慢の理性的思考も、より強く遺伝子の利害と結びついている感情や直感によって容易に捻じ曲げられることを示している。
「理性が感情にたやすく負けるなんてことは大昔から誰もが知っていました。でも、そのメカニズムが具体的に明らかになる意義は大きい。人間も工学的なコントロールの対象になるということですから」
人間の〈仕様書〉はすでに実用レベルに達している。世界中の政府や企業がAIやビッグデータと〈仕様書〉を組み合わせ、国民や消費者の誘導に活用しようとしている。AIが人間を支配するSF的な未来も近いかもしれない。
「そうした可能性に触れると、我々はハックスリーのSF小説『すばらしい新世界』のような完璧なディストピアを想像しがちですが、そこに至るまでの過程を担うのは所詮、不完全で間違えやすい人間です。AIに任せるよりひどいことになる可能性もある。だから、むやみにディストピアを憂慮するよりも、AIが急成長する10年、20年の間に我々はどんな社会を築きたいのか、どんな存在でありたいのかを議論しておくことが大事だと思います。その土台となるのは新しい〈人間観〉ですから、その中軸である認知科学や進化論を知らなければ、そもそも議論ができません。文系の人にも、ぜひ本書を読んでいただきたいですね」
『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』
認知科学と進化論が人間観をどのように変え、どのような人間像を描きつつあるのか。そして、人間観の変化は私たちの社会のあり方やルール、倫理をどう変えていくのか。それらの問いをめぐるレポート、考察、思考実験、座談会、書評などが詰まった1冊。AIが急速に進歩するなかで必読の基礎教養書が出現した。