日本経済新聞の記事「身長も人間関係も小さくなる 『狭小ニッポン』との向き合い方(2026年7月3日)」は、日本の若者について人間関係や人生の選択肢が狭くなっていること、住まいについても3畳程度の狭小ワンルーム物件が人気となっていることを指摘していた。Z世代の2000人を対象とした別の調査では、1カ月に1回も外食をしないと回答した人の割合が、2割を超えていた。

住宅費の高騰で、若者は広い部屋を借りられない。人がひとり身体を伸ばせるかどうかという息苦しい部屋に詰め込まれるように暮らしている。だがそれは私たちの目線でそう評価しているだけで、かれらにとっては「スペパのよい部屋」になる。

あるいは外食に行かないのは、食文化を楽しめないのではなく「コスパを重視している」ことになる。友人が少ないのは孤独ではなく、気の合わない人間関係に消耗しない「安心できる暮らし」になる。恋愛や結婚を望まないのも、手に入らないものへの敗北ではなく、「自分の時間を最大限気兼ねなく楽しむ合理的な選択」として再記述する。

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低期待、低リスク、低燃費

例を挙げているときりがないからこの辺にしておくが、若者たちはこうした発想の転換によって「苦しさ」を感じにくいよう認知的に適応しているのである。さしずめ「防衛的認知」とでもよぶべきか。

もちろん、こうした発想の転換それ自体は悪いことではない。手に入らないものを数えて一生不幸になるより、手の届く範囲で暮らしのなかの楽しみを見つけたほうがよいに決まっている。

だが問題は、この「防衛的認知」が個人個人の処世術を超えて一世代の時代精神になりつつあることだ。低期待、低リスク、低燃費。大きく望まないから大きく失望もしない。社会から何かを勝ち取ろうとするのではなく、社会に差し出すものを少なくすることで身を守る。そういう生き方を、大小の差こそあれ同時に大勢が実践しようとしている。ミクロの最適戦略が、マクロでも最善の結果をもたらすとはかぎらない。