「声を上げる」よりも「退出」
社会になんらかの不満を抱えた人間が社会に対して取りうる行動には、大きく分けて「声を上げる」と「退出する」がある。
かつての若者は前者を選んだ。デモをしたり、組合をつくったりして、社会や政治に訴えかけていった。いまの若者は、その回路に期待していない。要求して奪い返すより、最初から参加しない。賃金を上げろと叫ぶより、必要なカネを減らす。住宅を安くしろと運動するより、実家から出ない。社会を変えるのではなく、社会が自分から取れるものを減らす。これは直截的な抗議行動よりも見えにくいが、はるかに止めにくい。
なぜ若者は「退出」を目指すようになったのか。若者の心が急に小さくなったからではない。そうではなくて、この国の民主主義が老いたからだ。日本では65歳以上が人口の29.3%を占め、現役世代2人で高齢者1人を支える構図になっている。社会保障給付費のうち高齢者関係給付費は6割を超える。寿命が延び、高齢者が有権者の大きな塊になれば、政治が年金、医療、介護、既得権、現状維持を最優先するのは、善悪以前に選挙の算数として自然なことになる。
残業しない、家を買わない、結婚しない
その結果としてこの国では「若者への投資を後回しにしてでも、現在の高福祉社会を維持する」というコンセンサスが静かに形成された。住宅、教育、子育て、賃金、雇用、将来への投資を少しずつ後回しにし、その一方で高齢者向けの給付とサービスを守り続けることを選んだ。
上に政策あれば下に対策ありとはよくいったものだ。成熟した民主主義が「若者を切り捨てても現在を守る」と決めたのなら、若者の側もまた合理的に適応するようになった。「それなら、こちらも社会を支えるためにフルパワーで働くのはやめます」と。
出世を目指さない。残業しない。高い家を買わない。結婚しない。子どもを持たない。クルマも服も酒もいらない。政治にも期待しない。こうして若者は、怒鳴りも暴れもせず、ただ自分の人生から燃費の悪い要素を一つずつ切り離していくようになった。それがようやく、私たちの目にも見えるようになってきた。