「若者が働き子育てをするだろう」という前提の崩壊

ここから始まるのは、高齢者中心社会と低燃費化した若者の我慢比べである。

高齢者中心社会は、若者が文句を言いながらもなんだかんだで働き、納税し、子どもを産み、次の支え手を供給し続けることを前提にしている。一方の若者は、狭い部屋と少ない消費と限定された人間関係のなかでも、それなりに楽しく暮らせるようになった。どちらの辛抱が先に限界を迎えるのか。人手不足とインフレと社会保障費の膨張を考えれば、社会の側が先に音を上げる可能性は決して低くない。

とくに人手不足は、この我慢比べをより厳しくする。働く若者が減れば、物流、外食、介護、建設、公共交通といった生活を支えるサービスの価格は上がり、質や供給量は落ちる。資産と健康な身体を持つ若者は、必要なら働く時間を増やしてインフレに対応できる。年金や給付を主な収入源とする人は、そう簡単にはいかない。若者の退出が進むほど、高齢者を守るための仕組みそのものが高齢者の暮らしを圧迫するという、皮肉な循環が始まる。

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精神論では若者は動かない

若者に向かって「もっと頑張れ」「もっと消費しろ」「結婚して子どもを持て」と呼びかけても意味はない。精神論で動かせる段階はとっくに終わっている。住宅費、税、社会保険料、子育て負担、働いたときの報酬を変え、若者がもう一度「社会に参加したほうが得だ」と思える設計に戻すしかない。

若者は不幸だから反乱しているのではない。むしろ幸福になる方法を見つけたからこそ、社会から降りられるようになった。声を上げず、石も投げず、ただ給料明細と家賃と制度表を眺め、自分の差し出すものを減らしていく。「独身こどおじFIRE」とは私が便宜的につけたふざけた造語だから、あまり深刻さが伝わっていないかもしれないが、若者がこの方向に一斉に進み始めたら、いまの社会の平常運転を守ることはできなくなる。胡乱な文筆家が弄している与太話だと思わず、真剣に考えたほうがよいだろう。

御田寺 圭(みたてら・けい)
文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』(イースト・プレス)を2018年11月に刊行。近著に『ただしさに殺されないために』(大和書房)。「白饅頭note」はこちら
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