家のあちこちに注射器や、血で汚れた服が散乱する家庭環境

――当時、家庭はどのような状況だったのでしょうか。

おおたわ 私が中学生になって手が離れるようになると、母の注射を打つ回数が格段に増えました。私の受験や教育のことに没頭している間は回数も減っていたのですが、退屈を感じる時間があると、心の隙間を埋めるように薬に頼っていたのでしょうね。

 私が高校生になる頃には、母は毎日オピオイドを乱用するような状態になっていました。引き出しを開ければ注射器だらけで、家のあちこちに注射器や、血で汚れた服が散乱しているのが普通になっていました。

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 父も私も、何度も何度も、何千回とやめるように言いましたが、薬をもらえないとなると暴言もひどく、暴れたりもするので手が付けられないんです。

 大学の卒業式に何を着るか、というような普通の家庭で行われる相談ですら、母にはできないような状態でした。

――辛い状況だったと思いますが、逃げ場はありましたか。

おおたわ 学校生活自体はすごく楽しかったですし、友達やボーイフレンドがいたからやっていけていたと思います。

 家に帰るのはすごく気が重かったけれど、家の外には逃げ場があった。勉強さえしていれば母はご機嫌だったので、勉強が逃げ場になっていた側面もありますね。

 

依存症家族の孤立「誰にもわかってもらえない」

――周りの誰かに、家庭の状況を相談したことはありましたか。

おおたわ 高校生や大学生の時、仲のいい子に話したことがあります。でも、誰にもわかってもらえないんですよね。

 相手のリアクションが想像と違って、話せば話すほどガッカリしますし、「誰にもわからないんだ」と思うと話す気がなくなってしまって。アルコール依存症もDVもそうですが、他の人にはわからないからこそ、依存症家族は孤立していくんだなと思います。

――お母さんがオピオイドを乱用していたということはお父さんが薬を渡していたのだと思いますが、お父さんはなぜ薬を渡してしまうのでしょう。

おおたわ もちろん、父も母が薬を乱用することを良しとしていたわけではないんです。

「本当に痛い時以外は使うものじゃないんだよ」と時に優しく、時に厳しく諭していましたが、その度に母が不機嫌になって家庭内の雰囲気が悪くなりますし、薬を与えないと酷い暴言を吐かれたり、毎日朝から晩まで薬をねだり続けられたりと、渡さざるを得ない状況でした。

 アルコール依存症で暴れている夫に泣きながら酒瓶を出す妻と同じで、誰がそれを責められるだろうかと思います。

撮影=鈴木七絵/文藝春秋

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