開始時間5分前に着席、終了時間ぴったりにお開き
伊藤忠の母体は、特に繊維の分野で圧倒的なシェアを誇る大企業だった大建産業である。1949(昭和24)年、財閥解体により大建産業が伊藤忠、丸紅、呉羽紡績、尼崎製釘所の4社に分裂した。伊藤忠は早い時期から優秀な旧軍人を積極的に採用していたようだ。シベリア抑留から1956(昭和31)年に帰還した瀬島龍三陸軍中佐(のち会長)が知られるが、海軍からも、陸上攻撃機の指揮官だった鈴木正一大佐、戦闘機隊指揮官の塚本祐造少佐、植松眞衛大尉、潜水艦でドイツ占領下のフランスまで航海し、乗艦がシンガポールで爆沈したが生還した竹内釼一大尉、のちに専務を務める夜間戦闘機搭乗員の水木泰中尉ら、多くの人材が伊藤忠に入社した。
伊藤忠ネイビー会は、水木泰を座長に、植松眞衛も参加していたが、伊藤忠以外からも水木の慶應義塾大学の同窓生や部隊で一緒になった人たちが大勢参加していた。海軍兵学校出身の植松眞衛と機関学校出身の山鳥次郎をのぞけば、全員が学徒出身の元士官である。
そこに、かつて瀬島龍三や塚本祐造、水木泰の部下だった1933(昭和8)年生まれの三田宏也・元副社長が会計係として参加した。
海軍は時間に厳しい。身についた習慣で17時開始の5分前には全員が着席し、時間ぴったりに始める。そしていくら話が盛り上がっても、19時ぴったりにお開きになる。会費は多いときでも2000円を超えることはなく、会計は10円単位まで割り勘で、ときに数十円の端数がお釣りに出た場合は、「これは若い人の未来のために投資しよう」と、参加者中最年少の私に手渡されるのがつねだった。



