予期せぬ海軍航空隊へ配属された慶応出身の元五輪候補・水木泰氏。

 激化する戦況の中、彼は敵大型爆撃機B-29を迎え撃つ過酷な空戦へ投入される。超高度での死闘、猛烈な反撃、そして静まり返る後席……。弾薬が底を突き生還した男を待ち受ける凄絶な現実とは?

 ジャーナリストの神立尚紀氏の新刊『ドキュメント 軍人たちの戦後』(小学館)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む

ADVERTISEMENT

B-29爆撃機 ©getty

◆◆◆

楽しかった海軍生活

 ただ、海軍での生活は楽しかったという。

「私は人と群れるのが嫌いですが、海軍での団体生活はいやではなかった。訓練は厳しいし、できないとぶん殴られますが、大学の運動部と比べればずいぶん楽だと思ったものです。水が合ってたんでしょうね」

 4ヵ月の基礎教育ののち、第二美保海軍航空隊で練習機の操縦訓練を受け、1944(昭和19)年9月、名古屋海軍航空隊での艦上爆撃機(急降下爆撃機)の実用機教程を終えると、愛知県明治基地の第二一〇海軍航空隊に配属される。水木にとって飛行機の操縦は、それで死ぬかもしれないということよりも、まるでスポーツのような爽快感を伴う楽しい時間だった。

「二一〇空で、お前は夜間戦闘機に行け、と言われて、単発機しか乗ったことがないのに双発機の月光に乗ることになりました。左右のエンジンを同期させるのに戸惑いましたが、約20時間乗ってようやく慣れてきた頃、こんどはまた、単発の彗星夜戦に変わることになりました」