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「目の前に現れたのは…」
水木は5月、阪神地区の防空部隊である第三三二海軍航空隊に転勤を命ぜられ、伊丹基地に着任した。ここでも彗星夜戦で数次の邀撃戦に参加、6月22日にはB-29を1機撃破(米軍記録によると、この日、三菱重工業水島航空機製作所爆撃に出撃した123機のうち2機を失ったとあるから、このうちの1機である可能性がある)する戦果を挙げたが、その頃になると、米軍が占領した硫黄島から発進した新鋭戦闘機P-51がB-29に随伴するようになり、対戦闘機の空戦性能をもたない彗星夜戦での邀撃は、以前にも増して困難なものになっていた。
B-29は侵入高度を5000メートルにまで下げ、傍若無人に日本の空を蹂躙していた。
「6月23日、前日のわずかな戦果で少しいい気になっていた私は、B-29の編隊を深追いしているうちにP-51の攻撃を受けてしまいました。梅雨時で下は一面の雲。そのなかに逃げ込んで、やっとの思いで敵戦闘機を振り切って、やれやれと。私の計算では伊丹基地に向かって飛んでいるつもりが、雲の切れ目から下に出ると、目の前に現れたのは天橋立でした……」


