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軍隊にクリエイティブなところはない
7月、三三二空の彗星夜戦は7機全機が、美濃部正少佐率いる「芙蓉部隊」に引き渡され、水木は以後、零夜戦に乗ることになる。やがて終戦。8月15日夜、敵艦隊が土佐湾に侵入したとの報に出撃したが、誤報であったことははじめに述べた通りである。
8月23日、部隊は解散、水木は岐阜県養老町に疎開中の実家に帰った。1947(昭和22)年に結婚。翌年、岳父が勤める大阪の大建産業に入社する。そして1949年、財閥解体により分裂すると伊藤忠に入った。
水木ははじめ、アルゼンチンから輸入する生皮を扱う仕事に就き、やがて紡績機械を業者に納入する仕事や、賠償物資の輸出の仕事も手掛けるようになる。
「海軍と商社、落差は大きかったですね。軍隊は官僚社会そのもので言われたことをやればよく、やることも決まっている。クリエイティブなところがないわけです。だけど商社は、自分で考え、見つけてきて金を稼がないといけないでしょう」



