近現代史研究者の辻田真佐憲氏の好評連載「『戦後』の正体」。9月号に掲載された最終回では、日本の戦後における「切れ目」について論じられた。その中でも歴史を語る施設に触れた箇所から一部を紹介する。
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日本における「不在」の問題
その国の「国民の物語」を示す施設として、国立の近現代史博物館があげられる。イデオロギー色が前面に出ているものから、学術性を重視するものまで性格はさまざまだが、展示空間が限られている以上、なにを選び、なにを強調するかを通じて、その国がみずからの歴史をどう語ろうとしているのかが浮かび上がってくる。たんに歴史博物館ではないのは、近現代こそがナショナリズムの時代だからである。
こうした近現代史の博物館は、多くの場合、その国の首都に置かれる。外国人にたいする発信の場である以前に、なにより自国民にたいする教育の場でもあるからだ。そのため、アクセスのよい場所に建てられ、ときには国立の戦没者追悼施設と一体化し、それ自体が「国民の物語」を示すモニュメントとして機能している。
ところが、日本には、こうした役割を担う施設がいまだ存在しない。
東京都千代田区にある昭和館は、それに類する国立施設のひとつと言えるかもしれない。地上7階、地下2階からなる建物で、諸外国の近現代史博物館には及ばないものの、規模としてはそれなりに大きい。
だがその展示は、戦時下の一般国民の生活を伝えることに重点が置かれており、戦争がなぜ起きたのかという根本的な問いにはほとんど触れられていない。まるで戦争が自然災害のように襲ってきたような印象さえ受ける。そこでは、まさに原因よりも悲惨さが前面に出ている。
それをかろうじて補っているのが、昭和館から靖国通りを挟んで西側にある靖国神社の遊就館だろう。ここでは、幕末・明治以来の歴史が、ひとつの物語として展示されている。だが、遊就館はいまでは民間の施設であり、しかも戦後史はほとんど扱われていない。
このように日本では、近現代史を総体として語る国立施設が不在であり、その不在こそが逆に「国民の物語」のあり方を示している。
