――波田さんが31歳の時、32歳を迎える直前の2007年に結婚されました。2009年には第一子の息子さんが誕生し、家族3人の暮らしになりましたが、お仕事はいかがでしたか。
波田陽区 相変わらず仕事が少ないままでした。同じ一発屋と呼ばれていた人も、コウメ太夫さんみたいに新築のアパートを一棟買って不動産家賃経営するとか、ヒロシさんみたいにキャンプで再ブレイクするとか周りは新しいことをはじめているのに、僕は次のことが何も生み出せませんでした。自分が情けないやら悔しいやら、ずっと塞ぎ込んでました。
40歳になるタイミングで家族で福岡移住を決断
――その状態のまま7、8年経って。
波田陽区 心のどこかで今の状況を変えなきゃ…とずっと思いながら気づいたら40歳になろうとしていました。今は40歳を過ぎても頑張っている人は多いですが、僕らの頃は40を境に売れていなかったら辞める人が多かったんです。芸人をスッパリ辞めて全く違う仕事につくかバイトをするか。僕は地元や東京では顔だけ知られているからバイトをするのも恥ずかしかった。
息子は5、6歳くらいで幼稚園に通っていましたが、僕が芸人をやっているのは漠然とわかっていたと思います。でも、芸人なのに「お父さんいつも家にいるな」って顔をする日もあったし、「お父さん、なんでテレビ出ないの?」はよく聞かれました。
――そこからなぜ福岡に移住を決めたのでしょう?
波田陽区 ワタナベが東京以外に福岡にも事務所があって、奥さんの実家が熊本で僕が山口で、二人とも福岡に近かったんです。僕より先に福岡にいった先輩たちも活躍されていたし、普段からお世話になっている間寛平師匠にも「福岡っていう手もあるぞ」ってアドバイスを頂いたのもありますね。寛平師匠には事務所も違いますが、以前からかなりお世話になっていて、ご飯を食べさせて頂いたり、仕事が無くなった後も舞台やマラソン大会とか、僕が出られそうな番組に全部呼んでくださったり。一生寛平師匠には頭が上がらないんですけど。寛平師匠も全国いろいろ行かれていて、福岡がいいところだってわかっていらっしゃったと思うし、40歳になるタイミングで家族で移住することを決めました。



