「実は、ヒットしたときの一番の誤算が、『俺、表に出る人間じゃなかった』ということでした」
1991年にデビューした大事MANブラザーズバンド。同年に発表した「それが大事」は約160万枚を売り上げ、世代を超えて歌い継がれる代表曲となった。
ボーカルの立川俊之は当時、ツアーの合間にテレビやラジオ、イベントへの出演をこなし、移動中の新幹線でアルバムの曲を作るほど多忙な日々を送っていた。しかし、世間の注目を一身に浴びながらも、心の内ではどこか「やりたいことと違うかもしれない」という葛藤を抱えた時期もあったという。
誰もが知る曲を歌いながら、満たされなかった理由はどこにあったのか。デビューから35年。立川に、大ヒットの裏側からバンド解散後の日々、現在の音楽活動までを聞いた。(全4回の3回目)
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バンドを辞め、友達の店で焼き鳥を焼いていた
――1996年にバンドは解散します。そこに至るまでには、何があったのでしょうか。
立川 いろいろなすれ違いです。バンドの中でも、外でもいろいろあって、精神的に無理になってしまいました。「これは本当に俺たちがやりたかったことなのか」と思うようにもなって。
解散を言い出したのは僕です。一つには、僕のわがままだと思います。もう無理だという決断を、僕がしたので。
――バンド解散後は、どのように過ごしていたのですか。
立川 事務所も辞めて、一人になりました。音楽も一旦やめたつもりで、友達の焼き鳥屋で「給料はいらないから、裏の焼き場でやらせてくれ」と言って焼き鳥を焼いていたんです。
――あれだけの大ヒットを経験した立川さんが、人目につかないことを第一に考えて、厨房の奥で働いていたとは驚きです。その間は、音楽からも離れていたのでしょうか。
立川 店にギターがあったので、閉店したあとに、たまに弾いていました。そうしたら友達に、「お前のそれを聴いていると、せつなくなるからやめてくれ」「お前はここにいちゃいけないだろう」と言われて。
給料も「ちゃんと払うから」と言ってくれたんですけど、僕は「いらないって言ってるだろう」と。でも友達は「それは駄目だよ」「音楽の世界に戻れよ」と言ってくれていました。




