完全に裏方になって、人に歌ってもらうための曲作りへ
――そこから、どうやって音楽の仕事へ戻ったのでしょう。
立川 その頃、「それが大事」が売れるきっかけになった『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』のプロデューサーが、僕を探してくれていたんです。
事務所を辞めていたので、業界の中では一度、行方不明みたいになっていました。携帯電話は持っていましたけど、当時は今ほどアーティスト本人と直接やりとりする感じでもなかった。それでも追いかけてきてくれて、ある日、電話がかかってきたんです。
「とにかく会おう」と、西麻布の料亭に呼ばれました。「今、何をやっているの?」と聞かれて、「音楽を辞めて、焼き鳥屋で働いていました」と話したら、「そんなことをやっている場合じゃないでしょう。何かやりなさいよ」と。
それで、今度は完全に裏方になって、人に歌ってもらう曲を作ろうと決めました。そのプロデューサーの方からも仕事をいただいて、楽曲提供やCM、企業の映像に使う曲などを作るようになったんです。
「俺、表に出る人間じゃなかった」という誤算
――裏方としての仕事は、ご自身に合っていましたか。
立川 そっちのほうが性に合っていると気づいてしまったんです。実は、ヒットしたときの一番の誤算が、「俺、表に出る人間じゃなかった」ということでした。
アマチュアの頃は、もっと表に出たいと思っていたんですよ。でも、いざ出てみたら「あれ、俺、違うかも」と。リハーサルの準備やレコーディング、何かを制作していくことのほうが楽しかったんです。
大滝詠一さんに憧れていました。自分でスタジオを持って、レコーディングをする。ああいうスタンスで音楽をやりたかったんですよ。
――今のお仕事の内容は、小学生の頃にCMを意識した曲を書いていた、という話にもつながりますね。
立川 デモテープも、中学生くらいの頃からずっと作っていました。それがだんだん、自分の中でクオリティーも上がっていって。そのうちデジタルの時代が来て、今では大きなスタジオに行かなくても、家で作れるようになりました。
中学生の頃から、「家で録ったものが、そのまま世の中に出ていけばいいのにな」と思っていたんです。今は本当にそういう時代になって、そこからYouTubeで広まっていくこともある。夢に描いていたことが、できるようになったんですよね。



