「負けない事・投げ出さない事・逃げ出さない事・信じ抜く事」(※)
1991年にデビューした大事MANブラザーズバンド。同年に発表した「それが大事」は約160万枚を売り上げ、世代を超えて歌い継がれる代表曲となった。
「本当に、降ってくるような感じでした」
ボーカルの立川俊之は楽曲誕生の裏側を振り返ってこう語る。デビューから35年。立川に、自身の人生を大きく変えることになる大ヒットまでの経緯からバンド解散後の日々、現在の音楽活動までを詳しく聞いた。(全4回の1回目)
(※作詞:立川俊之、作曲:立川俊之)
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テレビでダウン・タウン・ブギウギ・バンドを見て「俺、これになりたい」
――まず、立川さんが音楽に興味を持ったきっかけを教えてください。
立川 幼稚園の頃だったと思いますが、ラジオからグレン・ミラー・オーケストラが流れてきて、母親に「僕、こういうのをやりたい」と言ったんです。そうしたら、「これは楽団だから、いっぱい友達がいないとできないよ」と言われて。「あ、そうなんだ」というところから始まりました(笑)。
小学1年生の頃には、テレビでダウン・タウン・ブギウギ・バンドを見ました。当時はYouTubeもビデオもないから、バンドが演奏する姿を見られるのはテレビくらいだったんです。エレキギターを持って歌う姿を見て、父親に「俺、これになりたい」と言いました。
――それを聞いた時、お父さまはどんな反応だったのでしょう。
立川 「ギターをやりたいなら基礎からやれ」と、クラシックギターを習わされました。ところが、想像していた感じと全然違うんですよ。こっちはエレキギターを持ってかっこよくやりたいのに(笑)。
「こんなの嫌だな」と思っていたんですけど、「小学校の6年間、ちゃんとやりきったらエレキを買ってやる」と言われて。それで続けて、小学6年生のときに買ってもらったんです。
小学校の卒業文集で「ミュージシャンになる」と書き10年後にデビュー
――その頃は、どんな音楽を聴いていましたか。
立川 6歳上の姉がいて、ビートルズやカーペンターズを教えてくれたんです。小学5年生の頃には、セックス・ピストルズも教えられていました。
その辺のレコードを買いあさっていましたね。買いあさるといっても、父親に買ってもらうんですけど、そうそう買ってはもらえない。当時はまだレンタルレコードもなかったので、誰かが持っているものを録音してもらえればラッキー、という感じでした。
小学6年生の卒業文集で「10年後の自分」というのを書いたときには、「ミュージシャンになる」と書きました。その、ちょうど10年後くらいにデビューが決まるんです。




