自分はバンドマンであって、芸能人だとは思っていない
――1991年にメジャーデビューが決まったときは、どんな気持ちでしたか。
立川 デビュー前から天狗でしたね。鼻がつかえて楽屋に入れなかったくらいです(笑)。
だからわりと「当然だろう」「他を寄せ付けないだろう」くらいに思っていたんです。
ところが、プロの世界に入ると驚きますよね。全国大会というか、全国から出てきた人たちばかりなわけです。先輩も後輩も同業者も、皆さんあまりにすごくて。「だいぶ思い上がっていたな」ということに、あとから気づきました。
――実際に芸能界デビューしてみて、自分の居場所に対する感覚は変わりましたか。
立川 僕は「芸能界に入った」というイメージが、いまだにあまりないんです。今もバンドマンだと思っていますし、ミュージシャン、制作者、クリエイターと言われれば、そうだと思う。でも、自分を芸能人だとは思っていないんですよね。
デビューするも鳴かず飛ばず「次が売れないとまずいよ」と言われ
――音楽活動のほうは、デビュー後すぐに軌道に乗ったのでしょうか。
立川 いや、アルバムを出したんですけど、全然鳴かず飛ばずでした。「次が売れないとまずいよ」と周りからも言われて。まだアルバイトもしていましたし、「これ以上やっても駄目なんじゃないか」「やっていけるのかね」と思っていました。
――その頃の立川さんは、どんなバンドを目指していたのでしょう。
立川 「こういうバンドになる」というのは特になかったです。自分たちの好きなことをやっていた。僕はエルヴィス・コステロやアズテック・カメラなど、イギリス系の音楽が好きで、ポップだけど、ちょっとマニアックなことをやっていたんです。「それが大事」のような曲を書いたのは、あのときが初めてでした。
――「それが大事」は、どのように生まれたのですか。
立川 本当に、降ってくるような感じでした。ただ、僕の中ではあくまで一曲でしかなくて、他の曲もそうやって作っているんです。「それが大事」だけが特別な生まれ方をしたわけではなくて。
いつも通りに書いた曲なんですけど、デモテープをメンバーや周りの人に聴かせると、みんなが「いい!」と言ってくれた。それでレコード会社のディレクターやプロデューサーにも聴かせたら、「これはいけるんじゃないか。ちゃんとレコーディングしよう」となりました。
自分の中でも、打ちにいった曲ではあったと思います。やっぱり売れないとまずい、という気持ちがありましたから。でも、他の曲は打ちにいっていなかったのかといえば、そんなことはないんです。



