小3でコーラのCMに使ってもらいたい曲を書いていた

――では、音楽を仕事にしたいという気持ちはその頃からあったのですか。

立川 最初からだったと思います。ずっとこれをやっていければいいな、と。「こういうことをやって食べている人がいるんだ」と知って、びっくりしましたから。じゃあ、これがいいなと。他にやりたいものもなかったんです。

 小学3年生くらいのときには、コカ・コーラのCMに使ってもらおうと思って、曲を書いていました。もう電通を意識していましたね(笑)。

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――小学生で、CMに使われることまで考えていたんですね。

立川 最初から、ちょっと商用の楽曲を意識していたんでしょうね。タイトルも曲も忘れてしまいましたけど、そういうものを作った記憶はあります。デモテープも何も残っていないんですけど。嫌なガキだったと思います(笑)。

大事MANブラザーズは「本当に地元のノリで作ったバンド」

――そこから、大事MANブラザーズバンドはどのように生まれたのでしょう。

立川 僕自身は大学に行っていないんですが、高校の仲間や、メンバーが通っていた大学の仲間、小学校から一緒だったやつらと、本当に地元のノリで作ったバンドです。ただ、やる以上は売れてやろうという気持ちはありました。

 僕は埼玉県の草加出身で、隣はもう足立区なんですよ。自分では、東京が遠いという意識もなかった。でも、曲を聴いた友達から「お前、東京に出ろよ」と言われて。「いや、隣じゃねえかよ。みんなバイトで東京に行ってるじゃないか」と(笑)。

「お前の曲にはヒットチューンの香りがする」なんて言われて、調子に乗っていました。オーディションに出して、通ることもあったんです。

©︎釜谷洋史/文藝春秋

――当時はどのようなオーディションを受けていたのですか。

立川 17歳のとき、『週刊ヤングジャンプ』のバンドオーディションに出しました。テープ審査に通って、特集で載せてもらったんです。「17歳とは思えない曲作りとアレンジ、将来性がある」というようなことを書いていただいて。それで、次はアメリカだろう、くらいのことを言っていました(笑)。

――好きな音楽を続けながら、生活はどうしていたのですか。

立川 アルバイトです。コンビニ、引っ越し屋、車の免許を取ってからは運送業みたいなこともしました。居酒屋もやっていましたし、厨房の仕事が多かったですね。

 昼間はファミリーレストラン、夜は六本木の「キリンシティ」というビールのお店で働いていた時期もあります。掛け持ちは、多くて2つだったと思います。その時は、ギターをローンで買っていました。