「『ミュージックステーション』に出演して、また来週って手を振ったあと、『じゃあ、バイトに行ってきます』って。レコード会社の人に驚かれました」
1991年にデビューした大事MANブラザーズバンド。同年に発表した「それが大事」は約160万枚を売り上げ、世代を超えて歌い継がれる代表曲となった。
ボーカルの立川俊之は当時、ツアーの合間にテレビやラジオ、イベントへの出演をこなし、移動中の新幹線でアルバムの曲を作るほど多忙な日々を送っていた。しかし、その大ヒットの最中にも、テレビ出演後に深夜の配送センターへ向かい、弁当を仕分けるアルバイトを続けていたという。
誰もが知る曲を歌いながら、なぜアルバイトに通っていたのか。デビューから35年。立川に、大ヒットの裏側からバンド解散後の日々、現在の音楽活動までを聞いた。(全4回の2回目)
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「バイトに行ってきます」と言ったらレコード会社の人に驚かれて
――「それが大事」のヒットによってご自身も注目されるようになりました。最初にそれを実感したのは、いつ頃でしたか。
立川 外でご飯を食べるのが、ちょっとはばかられるようになった頃ですね。蕎麦屋の外にあるメニューを見ていたら、人が集まってきたりして。でも、こっちはまだ、アマチュアでアルバイトをしていた頃と感覚が変わっていないんです。
女の子と一緒にいるときも、「あ! あいつテレビで見たことある」とこそこそ言われたりする。はっきり声をかけてもらえればいいんですけどね。「こういうことが起こるんだ」とびっくりしました。
アイドルを目指していたわけではないので、そういうことをあまり計算に入れていなかったんです。
――注目される中で、立川さん自身の生活もすぐに変わったのでしょうか。
立川 印税って、売れたその日に入るわけではなくて、半年とか1年とか、あとになって入ってくるでしょう。ヒットしている最中は、まだお金が入っていなかったんです。
だから、ヒットしてからもアルバイトをしていました。『ミュージックステーション』に出て、「また来週ー!」と手を振ったあとに、「じゃあ、バイトに行ってきます」と言っていたんです。
レコード会社の人に「お前、何を言っているんだ」と驚かれました。「事務所からお金が出ていないのか」と聞かれて、「まだ印税が出ていないので」と話したら、「とりあえず貸しておくから、バイトを辞めてきなさい」と。「ちゃんと食わせてやるから。印税が入ったあとに返せばいい」と言ってくれたんです。




