「『それが大事』の大事MANブラザーズバンド」と見られること

――いろいろな曲を作る一方で、「『それが大事』の大事MANブラザーズバンド」と見られることは、どう感じていましたか。

立川 当時は、企画もののように言われることもありました。大事MANブラザーズバンドという名前で、曲名が「それが大事」ですからね。そのおかげで認知していただけたのも事実ですけど、当時は嫌でした。

 インタビューでも、何でも「大事」に絡めて聞いてくるんです。「生活では何が大事ですか」とか、「お弁当では唐揚げが大事ですか」とか。「知らねえよ」って(笑)。

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 だんだんうんざりしてしまって、そういう場所から距離を置こうとしました。自然にそうなった部分もありますけど、自分でも意図的に表に出る機会を減らして、インタビューを受けなくなり、テレビにもあまり出なくなったんです。

――曲のイメージが、そのまま立川さん自身のイメージになってしまうこともあったのでしょうか。

立川 ありましたね。「俺はあの曲ばかりを書いていたわけじゃないのにな」と。皆さんが本当にそう思っているわけではないとしても、イメージとしては「あの曲を書いた人」になるじゃないですか。

 僕はそんなに品行方正な人間ではないし、「いつも元気印」という感じでもない。それは勘弁してくれよ、と思っていました。

「間違って売れたやつだ」と言われたこともありましたけど、何でも自分の思い通りにはいかないですよね。ヒットしたおかげで、今も「あの曲の方ですか」とよくしていただくことはあります。料理店ではサービスで一品増やしていただくような、小さなことからいろいろと。

 そういう恩恵を受けているのに、嫌なことだけ嫌だと言うのもどうなのかな、と。今はもう、あの頃のような気持ちはないです。

「それが大事」をこれからも歌い続けようと決めた

――気持ちが変わるまでには、何かきっかけがあったのですか。

©釜谷洋史/文藝春秋

立川 「それが大事」を歌いたくない時期もありました。でも、ポール・マッカートニーのライブを観に行って、「レット・イット・ビー」を聴いたときに、感動してしまったんです。「本物だ」と思って。

 何十年もたっているのに、この人はまだこの曲を歌っているんだ、と。自分が生意気なことを言ってはいけないなと思いました。それで、「それが大事」をこれからも歌い続けようと決めたんです。

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