――あれだけの大ヒットの最中に、テレビ出演後もアルバイトに向かっていたとは驚きです。その頃は、どんな仕事をしていたのですか。

立川 ファミリーマートのお弁当の仕分けです。配送センターみたいな大きな場所にお弁当が集まってきて、それを「何々店の分」というふうに仕分けていく。そこからトラックで、それぞれの店舗へ運ぶんです。

 深夜だけでも働けるので、時間の都合がよかったんですよ。それを続けていました。

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 レコード会社の人には、部屋も借りてもらいました。細かい順番までは覚えていないんですけど、そうやってようやくバイトを辞められたんです。売れたからといって、すぐに生活が変わったわけではなかったですね。

©釜谷洋史/文藝春秋

一晩で一番使ったのは、銀座で飲んだ100万円くらい

――実際に印税が入るようになってからは、何にお金を使っていましたか。

立川 事務所に管理してもらっていましたし、自分で使える時間もあまりなかったんです。だいたい飲んでしまいましたね。後輩にもばんばんおごっていたら、なくなってしまいました(笑)。

 一晩で一番使ったのは、100万円くらいです。業界の先輩に「お前、印税が入っただろう。お金の使い方を教えてやるよ」と、銀座に連れていかれたことがあって。その先輩っていうのが、横浜銀蝿ってバンドの嵐ってやつなんですけどね。銀座のクラブで飲んだら、一瞬でなくなりましたね。

――一晩で100万円となると、驚きますね。

立川 「二度とやるか!」と思いました(笑)。それ以来、そういう飲み方はしていません。女性が接客してくれるクラブにも、あれきり行っていないです。

――ほかに、大きな買い物はしましたか。

立川 車くらいですね。とりあえずベンツを買いました。アメリカ車も好きでしたけど。あとは飲み代です。

 洋服もそんなに買わないし、ブランド品にも、それほど興味がないんです。10代の頃には好きだった時期もありますし、今でもポール・スミスは好きですけど、ハイブランドを買いたいとはあまり思わないですね。

©釜谷洋史/文藝春秋

 ブランドの名前が大きく書いてあるTシャツを見ると、「誰かの名前を着ているんだよな」と思うんです。それなら「立川」と書いてあるTシャツを着たほうがいいんじゃないかと(笑)。

アルバムの曲を新幹線の中で作らなければいけないほどの忙しさ

――仕事の忙しさも、相当なものだったのではないでしょうか。

立川 スケジュールを覚えていないくらい、忙殺されていました。ツアーの途中にイベントも入るし、テレビもあるし、ラジオもやっていたので。

 アルバムの曲を新幹線の中で作らなければいけないこともありました。でも、ほかのお客さんがいるから、大きな音は出せないでしょう。エレキギターは電気を通さなければ、ほとんど音が出ないので、小さな音で弾きながら作っていました。

 そうやって小さな音で作っていたら、キーを間違えてしまって。レコーディングで声が出なかったこともありましたね。