熊本の大学を卒業し、父に「お笑いの才能がない」と反対されながらも東京へ飛び出した波田陽区さん。極貧生活でも「楽しかった」と振り返る青春時代は、やがて2004年の『エンタの神様』での“衝撃デビュー”へとつながっていく。

「30歳までに芽が出なければ辞める」と父と約束したタイムリミットまであと3カ月。窮地で掴んだ「ギター侍」誕生の瞬間と、遠距離で支え続けたのちの妻となる女性との関係を本人が語った。(全3回の1回目/続きを読む)

波田陽区

「お笑いの才能がない」と反対されながらも30歳までの約束で上京

――子どもの頃からお笑いが好きで、熊本の大学を卒業すると共に芸人を目指して上京した波田陽区さん。しかし、お父さんから反対され、交際していた彼女とも遠距離になるため別れを考えたとか。

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波田陽区 山口に住む父から「お前にはお笑いの才能がない」と言われ、30歳までに芽が出なかったから芸人を辞めるように約束させられました。大学時代から付き合っていた、後に奥さんになった彼女には、僕から「別れよう」と言いましたが「別れない」と言ってくれて遠距離恋愛になったんです。

――いろいろな思いを抱えて上京して。東京に来るとどんな生活になりましたか?

波田陽区 新しい環境に飛び込んで、なんだかとても楽しかったんです。すごく貧乏でお金もないですよ。バイト代が入っても家賃や公共料金の支払いですぐ消えちゃいましたが、新宿で1杯50円の焼酎で芸人仲間と朝まで飲んだり、お金がないのに合コンしたり。今考えたら失礼ですけど、合コンなのに女の子にほとんどお金を出してもらうこともありました。月に何回か小さいライブに出ながら「いつかお笑いだけで食えたらいいね」ってみんなで夢を語りながら朝まで飲んで、金はないけど若さとエネルギーに満ち溢れていて楽しかったです。

 ただ、芸人同士で遊ぶことが最優先になってしまって、正直彼女のことを蔑ろにしていたと思います。彼女は保育士をしながら年2、3回お金を貯めては東京に来てくれて、僕にご飯を奢ってくれた後、また熊本に戻っていくんです。僕も飲み代やパチンコにお金を使わず貯金すれば、熊本に行けたと思うんですけど……申し訳なかったですね。