『エンタの神様』で「人生最初で最後じゃない?」というくらいウケて…
――その後、芸人とバイトを続けながら数年経ち、徐々にリミットの30歳に近づいていきます。
波田陽区 一向に芸人として光が見えないまま、30歳まであと3カ月。当時、大久保のコンビニでバイトをしていましたが、店が閉店することが決まって新しいバイト先も探さなきゃいけないしちょっと焦っていたんですよね。
ただ、ラッキーだったのは、ちょうど『エンタの神様』という番組が始まって、まだテレビに出てない人を探していて、たまたま僕が選ばれたんです。『エンタの神様』に出る1年くらい前から着物を着て「ギター侍」のネタを始めていて。ギターを弾きながら「拙者、ギター侍じゃ……」と登場して、「○○って言うじゃな~い」と有名人を紹介した上で「でもアンタ、○○ですから!残念!」と斬り捨てるネタなんですけど。
――強烈でした……! 初めて『エンタの神様』に出た日のことは覚えていますか。
波田陽区 もちろん覚えています。2004年3月、初めて日本テレビのスタジオに入った瞬間、カメラが10台くらいブワァーってあって、セットも煌びやかでお客さんが300人くらいいて、とにかくスタジオの雰囲気に圧倒されました。
いよいよ僕の出番が回ってきたときにはすでに緊張感マックス。テレビで初めて斬った方は保田圭さんでしたが、モーニング娘。の卒業にかけて「アンタ、卒業じゃなくて退学ですから、残念!」と言ったんです。でも、いつもは優しく「残念」と言うところが、極度の緊張状態で急に「残念!!!!」と雄叫びに。「言うじゃない」の部分もなぜか「言うじゃな~い」と乙女チックな感じで言ってしまったらすごくウケたんです。あんなにウケたのって人生最初で最後じゃない?というくらいウケて、あの衝撃はいまだに忘れられないです。
そこから運命が変わりました。番組から連絡がきて、毎週『エンタの神様』に出られるようになる代わりに、他の番組には半年間出てはいけない。しばらく『エンタの神様』だけで見られる芸人にしようということで決まりました。
子どもが真似をし、TV出演も多数…突然のブレイクで人生が一変
――人生が大きく変わっていきますね。
波田陽区 はい。ファンレターが増え、電車に乗ったら小さい子どもが僕の真似をするとか、僕のことを知っている人がどんどん増えていきました。当時、東中野の安いアパートに住んでいましたが、近所の子どもたちが窓ガラスをドンドンやって「ここにギター侍いるんでしょ、サインして」と言ってきたこともありましたね。一番嬉しかったのは、(明石家)さんまさんが『恋のから騒ぎ』のオープニングで僕のモノマネをしてくれたことです。感激して録画したビデオのその場面を50回くらい観ました。


