米国と違い、日本では専業主夫を続けにくい
――小西さんは、米国滞在中に「世界に広がる駐夫・主夫友の会」を創設されました。メンバーには、小西さんと同じように「妻のやりたいことを優先している」という複雑な思いを抱えているメンバーが多いのでしょうか?
小西 そこは千差万別ですね。快く妻に付いていく人もいれば、モンモンとした感情を抱えながら過ごしている人もいます。ただ、若年層はほとんどが前者ですね。夫婦共に海外志向で、「先に決まったほうが行こうね。そこで一緒に暮らそうね」と。これには、ものすごい世代間ギャップを感じました。
――帰国後は大学院で駐夫を研究し、千葉科学大学危機管理学部の教授もされています。どんなキッカケがあったのですか?
小西 大学院時代に、指導教員から「修士を取得したら、これまでの経験と掛け合わせて十分に大学教員になれますよ」と言われていて。当時そんな考えはさらさらなく、フリージャーナリストとして生きていくつもりでした。
しかし、稼ぎは妻のほうが多く、渡米前と比べて逆転している状態でした。ですから、妻に対して「迷惑をかけているな、カッコ悪いな」という思いがあったんです。彼女からは、「絶対に(活躍できる)タイミングがくるから焦らないで」と言われていましたが、稼ぎたい思いがあり、大学教員を本格的に目指し始めました。そこで、ご縁をいただいたのが千葉科学大学でした。
――専業主夫を続ける選択肢は、なかったのでしょうか?
小西 米国に住み続けていたら、その選択肢もあったかもしれません。ですが、日本で専業主夫を続ける勇気はありませんでした。米国なら気にならなくても、日本では絶対に色眼鏡で見られると思ったんです。そうした感覚は、最後まで変わりませんでした。
――専業主夫を心からやりたいという思いは芽生えなかった、ということですよね。
小西 今ちょっとドキッとしました。主夫業は「やりたい」「やりたくない」という領域を越えて、日常の生活の一部という感覚になりましたが、一方で「もう十分にミッションを終えただろう」という気持ちもあったのかもしれません。
