1951年、山口県で老夫婦が惨殺された。捕まった吉岡は単独犯行を自白するも、警察の苛烈な拷問に屈し、友人ら4人を「共犯者」と偽りの供述をしてしまう。無実の罪を着せられた者たちを待ち受けていたのは、死刑と無期懲役の判決だった。

 昭和の日本を震撼させた「八海事件」はどんな結末を迎えたのか? 鉄人社の文庫新刊『戦後まもない日本で起きた30の怖い事件』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目)

無実の罪で強盗殺人の首謀者とされた阿藤周平さん(写真:時事通信社)

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拷問によって「ウソの供述」

 翌29日、身柄を拘留された阿藤ら4人は当然のように無罪を主張する。事件当日に皆で手順を打ち合わせたうえで犯行を働き、現場から逃げた後に金を山分けしたというシナリオも、警察の言う40分間では到底実現不可能で、それを裏づける証拠も皆無だった。

 が、無能な田舎警察は複数犯を疑わず、彼らを容赦なしの拷問にかけ最終的に自白を引き出す。阿藤と久永に窃盗、稲田に窃盗と強盗の前科があったことも複数犯説の拠り所でもあった。

 強盗殺人罪で起訴された5人の裁判は1952年から山口地裁で始まった。公判では吉岡が起訴事実を認めたのに対して、阿藤ら4人は捜査段階で警察官に拷問され虚偽の供述をさせられたが、自分はこの事件に一切関与しておらず無実であると主張した。

写真はイメージ ©getty

 が、同年6月2日に下された判決は主犯の阿藤が死刑で、吉岡ら4人は全員が無期懲役。