最高裁でついに…

 1953年9月18日の広島高裁も阿藤と吉岡の控訴を棄却(吉岡は上告せず無期懲役で確定)、他3人は懲役12~15年に減刑される。

 しかし、4人の被告はその後もあきらめることなく捜査段階から阿藤が事の経緯を詳細に記録していたノートと長文の手紙を、三鷹事件の一審で無罪を勝ち取った弁護士の正木ひろし(1896-1975)に出し、最高裁での弁護を依頼。

 正木は彼らの無罪を確信し弁護を引き受けるとともに、事件に対する主張を著した『裁判官 ―人の命は権力で奪えるものか―』を出版する。果たして、本はベストセラーになり、1956年には本書を原作とした映画「真昼の暗黒」が公開。冤罪事件の恐ろしさとずさんな警察の捜査を告発し大きな話題を呼ぶ。

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 そして、迎えた1957年10月15日の最高裁判決は、広島高裁での審理のやり直し。裁判所が過ちを認めたも同然で、実際、1959年9月23日の高裁判決は事件は吉岡の単独犯行で、他4人は全員無罪というものだった。

 しかし、これを不服とした検察が控訴し、再び最高裁に判断が委ねられると、なんと無罪判決は破棄され、事件は複数の犯行によるものと高裁差し戻し判決が下る(1962年5月19日)。1965年8月30日の高裁判決は12年前の1953年判決と同じく阿藤が死刑で他3人が懲役刑。

 再び地獄に落とされた彼らが完全無罪を勝ち取るのは、それから3年後の1968年10月25日(最高裁判決)のことだ。